みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

弔詞 盛岡 宮澤賢治子供會

2020-09-11 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉

 では今回は、子供会からの「追悼」である。
  松田先生に
松田先生のおなくなりになつた事をお聞きした時、私たちは驚きと悲しみで一杯でした。先生とお會したのは二三年前盛岡にお出でになられた時のただ一度だけでしたけれど、それはまるで昨日のことのやうにはつきりと思ひ起すことが出来ます。モンペをはいたお姿、ニコニコとやさしいお顔、「お米は一粒でも百粒でも三百回の手数がかゝる」とおつしやつたそのお言葉、多分冬だつたと思ひますが、図書館の二階のあの日あたりのいいお部屋で、私たちは宮澤先生の「雨ニモマケズ」や「精神歌」をおきかせし、紙芝居も御見せいたしました。それらのことがみんなあたたかく美しく思ひおこされます。
以来私たちはお手紙のやりとりをし、最上共働村塾々長として、又全農村の尊い指導者としてお体がいくつあつても足りないやうなそんな忙しい中から先生はよくご返事を下さいました。
あゝ、その懐かしい松田先生は突然お亡くなりになりました。私たちはもう再びあのニコニコのお顔を拝することも出来なくなつたのです。私たち悲しく淋しくてなりません。
しかし、宮澤先生を生涯の師とし、その教へを守りすべての人のほんとうの仕合を求め、命をかけての先生でした。その魂こそは宮澤先生の霊と共にいつまでもいつまでも生きて此の日本をお護り下さる事を堅く私たちは信じます。
私たちは先生の教へを正しく受けつぎ豊葦原瑞穂の國の輝く子供として立派に育つてゆく事をここにお誓ひ申します。
先生の御霊前へお供する言葉といたします。
     昭和十八年八月六日
              盛岡 宮澤賢治子供會
             〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)20p〉

 立派な内容の「追悼」であり、子供会の子がこのようなものを書けるのかと、ちょっと首を傾げてしまったのだが、何れそのような子供が松田甚次郎に「追悼」を寄せていたのだ。そして、甚次郎は「ニコニコとやさしいお顔、「お米は一粒でも百粒でも三百回の手数がかゝる」とおつしやつた」ということは、たしかにそのとおりであったであろうと、私は素直に頷いた。甚次郎がとても優しい人物であり、子どもたちからも慕われていたであろうことは、ここまで調べてきたことからも自ずから導かれると、私には思えたからだ。

 松田甚次郎はその実践内容のみならず、人間的にもとても素晴らしい人物だったのだと、私は改めて確信した。

 続きへ
前へ 
 “「松田甚次郎の再評価」の目次”へ。
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

《発売予告》  来たる9月21日に、
『宮沢賢治と高瀬露 ―露は〈聖女〉だった―』(『露草協会』編、ツーワンライフ社、定価(本体価格1,000円+税))

を出版予定。構成は、
Ⅰ 賢治をめぐる女性たち―高瀬露について―            森 義真
Ⅱ「宮沢賢治伝」の再検証㈡―〈悪女〉にされた高瀬露―      上田 哲
Ⅲ 私たちは今問われていないか―賢治と〈悪女〉にされた露―  鈴木 守
の三部作から成る。
             
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 物見山(9/3、ヤナギタンポポ) | トップ | 物見山(9/3、エゾノヨロイグ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

甚次郎と賢治」カテゴリの最新記事