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みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

静岡 鷲巣よし

2020-08-19 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉

 では今回は静岡からのものである
    静岡 鷲巣 よし
 松田先生をしのびて
偉大なる野の師父たりし先生の御逝去はあまりにも悲しく私好き者の口にすべき事ではございませんが敬慕のあまりつたない筆を取り思い出を綴らせていただきます。  
思へば今から十二三年も前のことゝ思ひます。始めて先生の御名を姉より伺いましたのは。その頃の先生は新庄の町へ川芥や堆肥を運びに行かれたり、村の為糀作りをなされたり又農村劇を実行されたり非常に御苦難の中に御修道御努力なされて居られた御様子のお便りを姉に下さられた様でした。当時まだ若い乙女の私には先生の尊い御精神もよく理解出来兼ねて居りましたが女学校時代から他家の馬糞をいただいては副業を行つたりした姉はその頃も友達の映画見物に行く頃、一人で農事試験場を見学に行く様な性質でしたから、先生の土の教へをしつかと胸に刻み一層農耕其他に励んで居りました。…投稿者略…
昭和十三年の夏先生の御著書「土に叫ぶ」を拝見させていたゞき、今まで私達の存じていなかつた御郷土に於ける御活躍の全部、土に生きる御精神の深さにたゞたゞ感激致し一度親しくお目にかゝつてお教へを願ひしたいと念願致しておりました。その頃私は、先生の農村劇精神をこの地にも生かしたいと先生の御注意を戴き銃后農村を守る雄々しい女性の姿を劇として女子青年の方々にの方々の前に上演しもらい喜ばれました。それ以来私のにも軍人家族慰安会の名の下に時折劇やをどりが青年男女の手で行はれる様になりました。その年の晩秋先生には京都へ御講演旅行の途中お立寄り下され永い間の念願が叶えられ霊峰富士の姿を讃美されつゝお話下さつた先生のお姿は未だ忘れる事が出来ません。その翌十四年の夏には青年学校のお招きにより御来静下され先生の御講演を一倍感慨無量で伺いましたがそれが永遠のお別れになりませうとは……。、
其后、ラジオで、誌上で、お話、お姿等拝見致しましたものゝ遂にお目にかゝる機会は其后ありません。
大東亞戦争下食糧増産確保のますます強く叫ばれます今日実りの秋を待たで農村御指導の最前線に立たれた先生のおなくなりになられました事は如何にも残念でなりません。皇国農村の為、人の為あまりにも短かゝりし御一生を働き抜かれた先生の尊い土の精神と御偉業は永久に日本農業史上に輝やかしい一頁を遺されることゝ存じます。あまりにも至らぬ私のしかも遠く离れて居りながら親しくお教へを戴いた幸を思ひます時今后共一層先生の土の御教訓を生かし土耕す女として強く強く生きてゆきたいと先生の御英霊におちかい致す次第でございます。朝に夕べに御経を唱えつゝ先生の御冥福をお祈りいたしております。
             〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)30p〉

 まず確認しておきたいことは、先の投稿〝静岡 池谷武夫〟において、 
 まさしく、81年前の今日、甚次郎は静岡に行っていたのだ。しかも、その11日には講習会で体験談等を講話、同じく12日にはわざわざ鷲巣姉妹<*1>の許へも訪ねて行った
ということに触れたが、まさにこの「鷲巣姉妹」の妹から寄せられたのがこの追悼である。おのずから、このことより、松田甚次郎が昭和14年8月11日~13日静岡へ講演に行っていたということは間違いないことが判る。のみならず、昭和13年の晩秋にも甚次郎は静岡に立ち寄っていたこともこれで知ることができた。また、やはり「土に叫ぶ」は当時多くの人々に感銘を与えたということも同様にである。

 なぜか、戦後になると殆ど忘れ去られ、今も相変わらずそうでもあると言える松田甚次郎の数々の実践だが、当時の人々はそうではなかったということを改めて鷲巣よしのこの追悼から知ることができる。だから、とてもじゃないが、松田君は毎月出て来て研究会に協力してくれたが、賢治の作品はあまり勉強していると思えなかった。村塾の経営とその自給自足主義や農民劇は賢治の教えの実践とみられるが、しかし時流に乗り、国策におもね、そのことで虚名を流した」と誹る「農民詩人」に、私は愈々強い反撥を抱き始めている。この詩人が甚次郎と同郷であるからなおさらにだ。

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《発売予告》  来たる9月21日に、
『宮沢賢治と高瀬露 ―露は〈聖女〉だった―』(『露草協会』編、ツーワンライフ社、定価(本体価格1,000円+税))

を出版予定。構成は、
Ⅰ 賢治をめぐる女性たち―高瀬露について―            森 義真
Ⅱ「宮沢賢治伝」の再検証㈡―〈悪女〉にされた高瀬露―      上田 哲
Ⅲ 私たちは今問われていないか―賢治と〈悪女〉にされた露―  鈴木 守
の三部作から成る。
             
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