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〈『「賢治精神」の実践【松田甚次郎の共働村塾】』〉
では、今回は「たくらまない教育」という項からであり、そこにはこんなことが述べられていた。
松田はたしかに「 村塾は現在の学校教育の弊を徹底的に矯正した人格教育」という目標を掲げた。けれども彼は、一度として教育に関する目的論や、方法、技術を論じたことはなかった。書いたことは、自分たちの日々の生活、実践の具体例だった。塾長でありながら、命令することも、叱ることもしなかった。すべて塾生の自主性にまかせた。
農民の子弟であれ、商家の息子であれ、朝鮮の青年であれ、松田が差別することなく誰でも受け容れた。
〈『「賢治精神」の実践【松田甚次郎の共働村塾】』(安藤玉治著、農文協)184p〉農民の子弟であれ、商家の息子であれ、朝鮮の青年であれ、松田が差別することなく誰でも受け容れた。
さて、この「目標」とは、甚次郞が最上共働村塾を設立した際の「開設の趣意」、
開設の趣意
…投稿者略…
先づ第一は本物の人間だ。故に村塾は現在の學校教育の弊を徹底的に矯正した人格教育であり、勤勞教育であり、生活の訓練であります。一定の教科書とか、入学試験とか、授業料に關與せず、唯〻真に人類と祖國を愛し、村を愛し、土を愛し、隣人を愛し、永遠に眞理を探究してゆく純潔なる若人達と、全生活、勤労を共にし、出來得る限り、その實踐を通じて總べて科學的に硏究し、各自の個性能力を確認し、以つて自家の職分と生活の合理化、經營の最善に努力し、社會生活型の何物なるかを明らかにしたいのであります。
〈『土に叫ぶ』225p〉…投稿者略…
先づ第一は本物の人間だ。故に村塾は現在の學校教育の弊を徹底的に矯正した人格教育であり、勤勞教育であり、生活の訓練であります。一定の教科書とか、入学試験とか、授業料に關與せず、唯〻真に人類と祖國を愛し、村を愛し、土を愛し、隣人を愛し、永遠に眞理を探究してゆく純潔なる若人達と、全生活、勤労を共にし、出來得る限り、その實踐を通じて總べて科學的に硏究し、各自の個性能力を確認し、以つて自家の職分と生活の合理化、經營の最善に努力し、社會生活型の何物なるかを明らかにしたいのであります。
の中にたしかにある。そしてまた、甚次郞が塾生に対して「命令することも、叱ることもしなかった」ということは、『追悼 義農松田甚次郎先生』等で塾生が似たようなことをしばしば証言していたから、そのとおりであったであろう。もちろん、「差別することなく誰でも受け容れた」ということもである。
さらに安藤はこう続ける。
これらのことから、「次三男の青年を満鮮の曠野に耕作できる拓殖訓練を授け、強烈なる皇国精神の発動をもって<*1>」という、「開塾趣意」の言葉は、松田の本意でないと考えてまちがいなかろう。
最上共働村塾は、その教育の内実として加藤完治らの塾教育と全く異なっていたといってよい。
〈『「賢治精神」の実践【松田甚次郎の共働村塾】』(安藤玉治著、農文協)184p〉最上共働村塾は、その教育の内実として加藤完治らの塾教育と全く異なっていたといってよい。
そこで私は、ここに至って胸をなで下ろした。というのは、以前の投稿〝加藤完治に学ぶ(承前)〟において引いたように、安藤は
「開塾の趣意」で松田は「更に次三男の青年を満鮮の曠野に耕作できる拓殖訓練を授け」と加藤の言葉そのままのようなことも述べたが、彼の村塾はついに一貫してその道は選ばなかった。
〈『「賢治精神」の実践【松田甚次郎の共働村塾】』(安藤玉治著、農文協)96p〉と言っていたからその時の私は、なるほど、たしかに「加藤の言葉そのままのようなこと」と思えたから、甚次郞は加藤完治からか少なからず影響を受けていたのか、やはりそうなのかということで、私のそれまでの理解が不安になってきていた。つまり、先に結論した、
松田甚次郎の最上共働村塾における教育は、農本主義者加藤完治からそれ程強い影響は受けていたわけではなかった。
という私の判断が不安になってきていた。
ところがそれは私の思い過ごしであり、ここでは、「最上共働村塾は、その教育の内実として加藤完治らの塾教育と全く異なっていたといってよい」と安藤は断定していたことを知って、安堵した。
そこで改めて先程の続き、
私生活にあっておのれの心身を正してことにあたる、といったことについては加藤流の厳しさに徹して生涯をつらぬいたものの、村塾の教育にあっては、膨張主義にはなじむところがなかったのである。
昭和初期の農山村漁村経済更生運動の切り札として塾風教育が登場し、強力な農民錬成が行われた時代、「最上共働村塾」も当然その流れの中にあった。その中で、加藤完治の日本国民高等学校をはじめ、大方の塾風教育は国家主義的性格を強めていき、侵略主義へ加担するようになっていく。だが、松田の最上共働村塾だけはちがっていた。これは多くの塾生たちの証言するところである。没後五〇年にいたるまで、多くの人に慕われる所以である。
〈『「賢治精神」の実践【松田甚次郎の共働村塾】』96p〉昭和初期の農山村漁村経済更生運動の切り札として塾風教育が登場し、強力な農民錬成が行われた時代、「最上共働村塾」も当然その流れの中にあった。その中で、加藤完治の日本国民高等学校をはじめ、大方の塾風教育は国家主義的性格を強めていき、侵略主義へ加担するようになっていく。だが、松田の最上共働村塾だけはちがっていた。これは多くの塾生たちの証言するところである。没後五〇年にいたるまで、多くの人に慕われる所以である。
を読み直して、私は胸のつかえがほぼ下りたのであった。
最上共働村塾は、その教育の内実として加藤完治らの塾教育と全く異なっていた。
とほぼ言えそうだ、と。
<*1:投稿者註> 『土に叫ぶ』のに226pは、
更に次三男の靑年をば滿鮮の曠野に耕作出來る拓殖訓練を授け、強烈なる皇國精神の發動を以つて、農村のどん底の立場や、不景氣、失業苦のない明るい規範の社會を招來するまで努めねばなりません。各々の立場を意識的に分擔し、お互いに信じ、共働し、隣保し、以つて日本農村をして、全人類に先驅する正しい皇道日本たらしめねばなりません。
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