みちのくの山野草

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賢治の思想は農本主義と通底していた

2020-11-11 12:00:00 | 甚次郎と賢治
《『農本主義のすすめ』(宇根 豊著、筑摩書房)》

 前回、私は宇根氏の
 農本主義は「反近代」「反資本主義」の思想として誕生したのです。
という断定に納得したのだが、同時に昭和2年2月1日付けのあの新聞報道を思い出したのだった。
 ではそれは何かというと、昭和2年2月1日付『岩手日報』の次のようなあの記事
 農村文化の創造に努む
    花巻の靑年有志が
     地人協會を組織し
      自然生活に立返る
花巻川口町の町會議員であり且つ同町の素封家の宮澤政次郎氏長男賢治氏は今度花巻在住の靑年三十餘名と共に羅須地人協會を組織しあらたなる農村文化の創造に努力することになつた地人協會の趣旨は現代の悪弊と見るべき都會文化に對抗し農民の一大復興運動を起こすのは主眼で、同志をして田園生活の愉快を一層味はしめ原始人の自然生活たち返らうといふのであるこれがため毎年収穫時には彼等同志が場所と日時を定め耕作に依って得た収穫物を互ひに持ち寄り有無相通する所謂物々交換の制度を取り更に農民劇農民音楽を創設して協會員は家族團らんの生活を續け行くにあるといふのである、目下農民劇第一回の試演として今秋『ポランの廣場』六幕物を上演すべく夫々準備を進めてゐるが、これと同時に協會員全部でオーケストラーを組織し、毎月二三囘づゝ慰安デーを催す計画で羅須地人協會の創設は確かに我が農村文化の発達上大なる期待がかけられ、識者間の注目を惹いてゐる(写真。宮澤氏、氏は盛中を経て高農を卒業し昨年三月まで花巻農學校で教鞭を取つてゐた人)
であった。とりわけ、賢治が記者に語ったのであろう、
 現代の悪弊と見るべき都會文化に對抗し農民の一大復興運動を起こすのは主眼で、同志をして田園生活の愉快を一層味はしめ原始人の自然生活たち返らうといふのである。
というこの一言をだ。それはもちろん、この一言はまさに、「反近代」「反資本主義」と通底していると言えるからだ。ひいては、当時の賢治の思想と農本主義は通底していた、と言えそうだからだ。
 さりながら、ここでまた同時に思い出すのは、ある座談会での吉本隆明の、
 日本の農本主義者というのは、あきらかにそれは、宮沢賢治が農民運動に手をふれかけてそしてへばって止めたという、そんなていどのものじゃなくて、もっと実践的にやったわけですし、また都会の思想的な知識人活動の面で言っても、宮沢賢治のやったことというのはいわば遊びごとみたいなものでしょう。「羅須地人協会」だって、やっては止めでおわってしまったし、彼の自給自足圏の構想というものはすぐアウトになってしまった。その点ではやはり単なる空想家の域を出ていないと言えますね。
             〈『現代詩手帖 '63・6』(思潮社)18p〉
という賢治評だ。
 したがって、どうやら、
 賢治は農本主義者と言えなくもないが、それほど実践的な農本主義者でもなかった。
ということになりそうだ。

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 この度、『宮沢賢治と高瀬露―露は〈聖女〉だった―』(「露草協会」、ツーワンライフ出版、価格(本体価格1,000円+税))

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            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
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