では、1333年に完成した赤茶の瓦屋根付きの、ロイス川に架かる全長204mの
【1 カペル橋】
を渡ってみよう。この橋はフィアヴァルトシュッテッテル湖から侵入しようとする敵を監視するために架けられたのだとのこと。
《2 橋の両側には花が飾られている》(平成21年7月6日撮影)
《3 》(平成21年7月6日撮影)
そして、その屋根の裏の梁には計111枚の
《 . . . 本文を読む
《1 キバナノアマナ》(2021年3月27日撮影)
《2 》(2021年3月27日撮影)
《3 》(2021年3月27日撮影)
《4 》(2021年3月27日撮影)
《6 アズマイチゲ》(2021年3月27日撮影)
《7 アオイスミレ》(2021年3月27日撮影)
《8べんんべろ》(2021年3月27日撮影)
《9 アブラチャン》(2021年3月27日撮影)
《10 》(2021年 . . . 本文を読む
《『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』の改訂版》
4 チェロの入手について
エスペラントとチェロ
さて、賢治はいつ頃からエスペラントを習い始め、いつごろから本格的に学び始めたのだろうか。
このことに関しては、『世界の作家 宮沢賢治 エスペラントとイーハトーブ』(佐藤竜一著、彩流社)によれば、遅くとも大正15年の秋頃までには本腰を入始めていたであろうことが推測される。
同書には、例 . . . 本文を読む
ここはまだまだかなと……
《1 》(2021年3月27日撮影)
《2 》(2021年3月27日撮影)
《3 あれっ、大部膨らんだものも》(2021年3月27日撮影)
《4 間もなく開花しそうなものも》(2021年3月27日撮影)
《5 開花していたものもあった》(2021年3月27日撮影)
《6 》(2021年3月27日撮影)
《7 》(2021年3月27日撮影)
《8 》(202 . . . 本文を読む
【東北砕石工場技師時代の賢治(1930年頃 撮影は稗貫農学校の教え子高橋忠治)】
では、今回は『宮澤賢治研究1』(草野心平編、昭和10年4月)からである。
ちなみにその目次は下掲のとおりである。
一瞥して、真壁仁が「農業者としての宮澤さん」という寄稿をしていることをすぐ知ったので期待しながら、まずは通読してみた。
そしてわかったことは、少なくとも真壁以外は東北砕石工場技師時代の賢治に . . . 本文を読む
《1 》(2021年3月27日撮影)
《2 》(2021年3月27日撮影)
《3 》(2021年3月27日撮影)
《4 》(2021年3月27日撮影)
《5 》(2021年3月27日撮影)
《6 》(2021年3月27日撮影)
《7 》(2021年3月27日撮影)
《8 》(2021年3月27日撮影)
《9 》(2021年3月27日撮影)
《10 心優しい人がやったのかな》(20 . . . 本文を読む
では、今度はルツェルンに行ってライオン記念碑やカペル橋などを見てみよう。
ここはルツェルンの中央通り(Zentralstrasse)の
《1 ゼー橋(Seebrücke)》(平成21年7月6日撮影)
に差し掛かったところ。
【2 ルツェルン(Luzern)】
. . . 本文を読む
では今回は、牢獄塔・連邦院・子喰いの鬼の噴水などの報告して、ベルン観光の最後としたい。
【1 ベルンの市街】
マルクト通りには
《2 C&A》(平成21年7月6日撮影)
があり、そこにあるは
《3 獅子の像》(平成21年7月6日撮影)
さらに進んでゆくと
《4 射撃手の噴水(Schützenbrunnen)》(平成21年7月6日撮影)
があり、
《5 牢獄塔が近づいて来た》 . . . 本文を読む
《1 キクザキイチゲ》(2021年3月25日撮影)
《2 》(2021年3月25日撮影)
《3 シュンラン》(2021年3月25日撮影)
《4 ハシバミかな》(2021年3月25日撮影)
《5 日時計花壇》(2021年3月25日撮影)
続きへ。 . . . 本文を読む
《『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』の改訂版》
3 尾崎喜八と賢治
さて、山と自然とクラシック音楽を愛し、「高層雲の下」等を著すなど雲の研究家としても知られている詩人に、尾崎喜八という詩人がいるという。
賢治の尾崎宅訪問
この詩人尾崎喜八に関しては、重本恵津子氏が『花咲ける孤独 評伝尾崎喜八』で次のようなことを述べている。
さて、この時代でもう一つ書き落とせないのは、 . . . 本文を読む
《1 》(2021年3月25日撮影)
《2 》(2021年3月25日撮影)
《3 》(2021年3月25日撮影)
《4 》(2021年3月25日撮影)
《5 》(2021年3月25日撮影)
《6 》(2021年3月25日撮影)
《7 》(2021 . . . 本文を読む
【東北砕石工場技師時代の賢治(1930年頃 撮影は稗貫農学校の教え子高橋忠治)】
さて先の投稿〝東北砕石工場と東蔵のその後〟において私は、
近いうちに、賢治の東北砕石工場技師時代がどのように周りから評価されてきたのかを今度は調べてみたいと思っている。と前触れしたが、ここからはしばらくこのことについて調べてゆきたい。
ではまず手始めに『宮澤賢治追悼号』(草野心平編、次郎社、昭和9年1月発行 . . . 本文を読む
国見山のカタクリは未だだったが、アオイスミレはもう咲いていた。
《1 》(2021年3月24日撮影)
《2 》(2021年3月24日撮影)
《3 》(2021年3月24日撮影)
《4 》(2021年3月24日撮影)
《5 》(2021年3月24日撮 . . . 本文を読む
では、大聖堂を後にしてクラム通りに出て、時計台を目指そう。
【1 ベルンの市街】
クラム通りには
《2 モーゼの噴水》(平成21年7月6日撮影)
《3 サムソンの噴水》(平成21年7月6日撮影)
があり、
《4 振り返るとサムソンの噴水がこのように見える所》(平成21年7月6日撮影)
まで来ると
《5 アインシュタインハウス》(平成21年7月6日撮影)
《6 》(平成21年 . . . 本文を読む
では今回は、熊公園~旧市街に聳える大聖堂までの景を報告したい。
この先が
《1 ニーデック橋》(平成21年7月6日撮影)
で、ベルン旧市街の中心街への入口である。
【2 ベルンの市街】
そして、この左手に
《3 熊公園》(平成21年7月6日撮影)
がある。ただし今は熊がいない”熊公園”になってしまったという。
がっかりし、それでは何かと思って撮ったのが次の写真。多くは昆虫が描 . . . 本文を読む