みちのくの山野草

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東京 川上治雄

2020-09-10 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉

 では今回は、今までのものとは傾向がやや異なる次のような「追悼」からである。
   先生の氏を弔ふ
  東京 川上 治雄
晩蝉の時と鳴けども物恋に我は師の死に定まらず泣く
「土に叫ぶ」勤王村の確立に献身して華やかな前途を抱きつゝあつた先生が何故こんなに早く逝かれたのでせう。先生との初對面は今年の春に開かれた最上の會の席上でありました。ぢつと目を閉ぢてありし日に共に談じ共に楽しんだ時を追憶し、それがもう復た見る事の出来ない過去のはかない夢に過ぎない思ふと今更ながら轉た人生の無常が観ぜられます。又先生は農村と都会との交流を常に理想とし日本の青年が堅き結束を図つて八紘一宇の理念たる大東亜共栄圏の建設に邁進し寄與せんとしつゝあつた事は隠れもない事実であつてこの点に関しては全く我々との見解理想と軌を一にしてゐました。その先生が若くして散つて行つた事は我々同胞としても全く残念でたまりません。此の上は先生の霊を慰め、唯只管に先生の遺志を継いで理想の実現に邁進せんと覚悟して居ります。
             〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)27p〉

 というのは、「「土に叫ぶ」勤王村の確立に献身して」とか「先生は農村と都会との交流を常に理想とし日本の青年が堅き結束を図つて八紘一宇の理念たる大東亜共栄圏の建設に邁進し寄與せんとしつゝあつた」という言辞があったからである。そして、もし甚次郎が本心からそのために、「献身的に努力」し「大東亜共栄圏の建設に邁進寄与せん」と実際にしていたというのであれば、時流に乗り、国策におもね、そのことで虚名を流した」と言って誹る人がいても多少はやむを得ないのかな、という不安が多少生じてしまった。しかしながら、現段階では、甚次郎自身が塾生や聴衆に対してそのようなことをズバリ明言したということを示すものを私は見つけられずにいるから、その不安はとりあえずは拭える。しかも、現時点ではこれはあくまでも川上治雄の認識の仕方に過ぎないと考えられる。とはいえ、今後は、「甚次郎は塾生や聴衆に対してそのようなことを確かに言っていた」ということ示す資料や証言を見逃さないようにしたい。

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