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〈『近代山形の民衆と文学』(大滝十二郎著、未来社)〉
さらに大滝は、
松田の思想は雑多であり、賢治の影響を受けて塾生と共に朝「法華経」を朗唱したり、かと思うと禊や神社参拝を欠かさない、というふうであった。後者は加藤完治の影響で、松田は盛岡から帰村した翌年、茨城県友部の国民高等学校に一年間学んでいる。教師と生徒の区別なく土に打ち込む農民魂はここで身につけた。土はすべてのものを「浄化する力」つまり「産霊の力」があるとする考え(松田『野に起て』)は、加藤完治の思想(『日本農村教育』)であり、それは筧克彦の『古道大義』にも通じるものであり、また氏神産土神信仰であった。
〈『近代山形の民衆と文学』(大滝十二郎著、未来社)139p〉ということも述べていた。これらのこと、たとえば「禊や神社参拝を欠かさない……は加藤完治の影響で」については私もある程度知っていたが、これって賢治にもあてはまるのではなかろうかと、ふと思ってしまう。というのは、賢治は花巻農学校に開設(大正15年1月~3月)された国民高等学校の講師をしたからである。
ちなみにこの国民高等学校については、その入学生の一人でもある伊藤清一が「岩手国民高等学校と宮澤賢治」という論考<*1>において国民高等学校開設の中身等について、
岩手国民高等学校は大正15年1月10日~同年3月27日まで、花巻農学校に開設された。
生徒の資格は高等小学校以上の能力を有し、満18歳以上で将来地方自治に努力すべき抱負ある者など。生徒は全て寄宿舎に入舎して自治的共同生活をした。寄宿舎費、食費、日用品、学用品等は自己負担。このとき参加した生徒は県下から35名で優秀な者ばかりだった。
この学校はデンマークの国民高等学校に見習って、農村青年の訓練計画を立案、社会教育の一環として試みられたとのことで、時局柄県は大した力の入れようだった。
校長は坂本県内部長、生徒の指導は県社会教育主事高野一司(かつじ)が当たった。高野主事は筧克彦や日本国民高等学校長加藤完治から薫陶を受けた直系で、宮澤賢治とは特に親しかったようだ。
日課は
起床(6時)
点呼・洗面・掃除
国民体操
やまとばたらき
心の力
朝食(7時)
講義(9時~12時)
昼食
講義と研究(13時~16時)
夕食(18時)
課外講演意見発表、音楽会、夜の集いなど(夕食後随時)
消灯(21時)
<『校本 宮沢賢治全集 第十二巻(上)の月報』(筑摩書房)』より>生徒の資格は高等小学校以上の能力を有し、満18歳以上で将来地方自治に努力すべき抱負ある者など。生徒は全て寄宿舎に入舎して自治的共同生活をした。寄宿舎費、食費、日用品、学用品等は自己負担。このとき参加した生徒は県下から35名で優秀な者ばかりだった。
この学校はデンマークの国民高等学校に見習って、農村青年の訓練計画を立案、社会教育の一環として試みられたとのことで、時局柄県は大した力の入れようだった。
校長は坂本県内部長、生徒の指導は県社会教育主事高野一司(かつじ)が当たった。高野主事は筧克彦や日本国民高等学校長加藤完治から薫陶を受けた直系で、宮澤賢治とは特に親しかったようだ。
日課は
起床(6時)
点呼・洗面・掃除
国民体操
やまとばたらき
心の力
朝食(7時)
講義(9時~12時)
昼食
講義と研究(13時~16時)
夕食(18時)
課外講演意見発表、音楽会、夜の集いなど(夕食後随時)
消灯(21時)
と述べていて、「高野主事は筧克彦や日本国民高等学校長加藤完治から薫陶を受けた直系」であったということになりそうだ。
さらに伊藤は、
ところで毎日の日課の中の皇国運動(やまとばたらき)は、後に六原道場などに持ち込まれましたが、目的は皇国精神を発揚することにあり、県当局にとっては国策に沿った主要な訓練でしたろう。
…(投稿者略)…
国民高等学校の開設中は真冬でありますので毎日寒い日が続いて、手や足が冷たくて困ったことを覚えています。その時につくづく感心されたのは、それらの寒いはげしい行事を宮沢先生は率先して、私達生徒とともに、実行されましたことです。
<『校本 宮沢賢治全集 第十二巻(上)の月報』(筑摩書房)』より>…(投稿者略)…
国民高等学校の開設中は真冬でありますので毎日寒い日が続いて、手や足が冷たくて困ったことを覚えています。その時につくづく感心されたのは、それらの寒いはげしい行事を宮沢先生は率先して、私達生徒とともに、実行されましたことです。
と証言しいるから、傍目からは、賢治は率先して「やまとばたらき」等の行事を行っていたと見えたから、結果的には生徒に「皇国精神を発揚し、国策に沿った主要な訓練」をさせたと言えなくもない。
なお、賢治の同僚であった堀籠文之進も次のように語っていたと佐藤成は伝えている。
朝六時に起きてまず駈足からはじまる。駈足とかやまとばたらき(体操)はつらいので私は時にすっぽかしましたが宮沢さんは頑健そのもので、朝の行事の〝みそぎ〟とか〝やまとばたらき〟とか一度もかかさず、上衣をぬいで気合いをかけながら、生徒たちと一緒に真剣にやりました。駈足の時なども、途中で中止したり落伍したりしませんでしたので生徒も感銘していました。
〈宮沢賢治-地人への道-』(佐藤成著)207p~〉ということなどからは、甚次郎がそうであったと見られるのであれば、賢治も同様に、加藤完治や筧克彦の影響を受けていたと傍目からは見られたであろう。端的には、堀籠は「時にすっぽかした」ということだが賢治はそうしなかったからである。
<*1:投稿者註>『校本 宮沢賢治全集 第十二巻(上)の月報』(筑摩書房)所収。
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《出版案内》
この度、『宮沢賢治と高瀬露―露は〈聖女〉だった―』(「露草協会」、ツーワンライフ出版、価格(本体価格1,000円+税))
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