《ノハナショウブ等の咲く早坂高原》(平成29年8月26日撮影) さて、今年平成29年は私にとってはどんな重大事があったか。
Ⅰ. その一つは、残念なことというよりは、賢治も呆れるようなことが「賢治学会幹部」によって為されたという現実に遭遇したことだ。具体的にはどんな現実にかというと、次の『「2017年春期セミナー」におけるある憂い』と『三陸被災地支援募金を押し潰した賢治学会幹部』で述べてあるよう . . . 本文を読む
《賢治詩碑》(平成20年11月23日撮影) 典拠であるという『随聞』を少し調べただけであやかしだということが直ぐ判るのに、なぜ賢治研究家は沈黙し続けているのだろうか? だから私は問いたい、「あなたは賢治の目を真っ直ぐに見れますか」と。
『賢治の目を真っ直ぐに見れますか』の目次
・あなたは賢治の目を見れますか
・〝『随聞』二一五頁〟はこうなっているというのに
・典拠に素直に従えば何ら問題 . . . 本文を読む
《ひきざくら》(「下根子桜」、平成29年4月18日撮影)
それではここでは、先の私の主張『賢治昭和二年上京説』に対してある賢治研究家等からの圧力やクレームがあったのだが、そのことについてである。
「賢治昭和二年上京説」に対する圧力やクレーム
・「一本足」論争(経過報告1)
発端
鈴木さんの『羅須地人協会の真実』という本は、…(略)…この沢里武治の(訂正前の)証言をほぼ唯 . . . 本文を読む
《ひきざくら》(「下根子桜」、平成29年4月18日撮影)
それでは、先に〝何者かによる澤里武治の「証言」の改竄〟において、
その詳細については近々まとめ直して投稿予定
と述べていたので、そのまとめ直しを以下にしてみた。
『賢治昭和二年上京説』の目次
〝「賢治の10回目の上京の可能性」シリーズ〟で論じた中身が『賢治昭和二年上京説』である。
・10 . . . 本文を読む
《賢治詩碑》(平成20年11月23日撮影) 典拠であるという『随聞』を少し調べただけであやかしだということが直ぐ判るのに、なぜ賢治研究家は沈黙し続けているのだろうか? だから私は問いたい、「あなたは賢治の目を真っ直ぐに見れますか」と。
さて、ここまでのことをひとまず振り返って見よう。そもそも『新校本年譜』は、
(大正15年)一二月二日(木) セロを持ち上京するため花巻駅へゆく。みぞれの降る寒 . . . 本文を読む
本日、12月29日は高瀬露の誕生日です。
そこで皆さんに呼びかけます。
なお、ブログ『みちのくの山野草』にかつて投稿した
・「聖女の如き高瀬露」
・『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』
や、現在投稿中の
・『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』
がその際の資料となり得ると思います。 . . . 本文を読む
《賢治詩碑》(平成20年11月23日撮影) 典拠であるという『随聞』を少し調べただけであやかしだということが直ぐ判るのに、なぜ賢治研究家は沈黙し続けているのだろうか? だから私は問いたい、「あなたは賢治の目を真っ直ぐに見れますか」と。
さて、〝歿後改稿されて出版された『賢治随聞』〟において、
関登久也(昭和32年歿)が亡くなってから13年も経った昭和45年に、わざわざ〝関登久也著〟ということ . . . 本文を読む
《賢治詩碑》(平成20年11月23日撮影) 典拠であるという『随聞』を少し調べただけであやかしだということが直ぐ判るのに、なぜ賢治研究家は沈黙し続けているのだろうか? だから私は問いたい、「あなたは賢治の目を真っ直ぐに見れますか」と。
それにしてもなぜ、関登久也(昭和32年歿)が亡くなってから13年も経った昭和45年に、わざわざ著者名を〝関登久也著〟ということにして『賢治随聞』が発行されたのだ . . . 本文を読む
《賢治詩碑》(平成20年11月23日撮影) 典拠であるという『随聞』を少し調べただけであやかしだということが直ぐ判るのに、なぜ賢治研究家は沈黙し続けているのだろうか? だから私は問いたい、「あなたは賢治の目を真っ直ぐに見れますか」と。
では今回は、著者であった関登久也以外の何者かにの手よって澤里武治の件の証言が改竄されていたことについて述べる。まずは次の二つを読み比べてほしい。
(3) 『岩手 . . . 本文を読む
《賢治詩碑》(平成20年11月23日撮影) 典拠であるという『随聞』を少し調べただけであやかしだということが直ぐ判るのに、なぜ賢治研究家は沈黙し続けているのだろうか? だから私は問いたい、「あなたは賢治の目を真っ直ぐに見れますか」と。
では当の、澤里武治はどう語っていたのか。時系列に沿って以下に並べ(直し)てみると以下のようになる。
(1) 昭和19年 「澤里武治氏聞書」の『原稿ノート』では、 . . . 本文を読む
《賢治詩碑》(平成20年11月23日撮影) 典拠であるという『随聞』を少し調べただけであやかしだということが直ぐ判るのに、なぜ賢治研究家は沈黙し続けているのだろうか? だから私は問いたい、「あなたは賢治の目を真っ直ぐに見れますか」と。
しかも、澤里武治の件の証言の扱い方に関連してはまだまだ不可思議なことが起こっている。ただしそのことを述べる前に、かつての「賢治年譜」において大正15年の上京がど . . . 本文を読む
《賢治詩碑》(平成20年11月23日撮影) 典拠であるという『随聞』を少し調べただけであやかしだということが直ぐ判るのに、なぜ賢治研究家は沈黙し続けているのだろうか? だから私は問いたい、「あなたは賢治の目を真っ直ぐに見れますか」と。
澤里武治晩年の自筆の資料
私は先に〝典拠に素直に従えば何ら問題はない〟において、
自分の証言を恣意的に使われたことに澤里武治が気付かぬはずもなく、彼の心境と無 . . . 本文を読む
《賢治詩碑》(平成20年11月23日撮影) 典拠であるという『随聞』を少し調べただけであやかしだということが直ぐ判るのに、なぜ賢治研究家は沈黙し続けているのだろうか? だから私は問いたい、「あなたは賢治の目を真っ直ぐに見れますか」と。
だからそんな牽強付会なことなどはせずに、素直に〝『随聞』二一五頁〟の、
昭和二年十一月ころだったと思います。…(投稿者略)…その十一月びしょびしょみぞれの降る . . . 本文を読む
《賢治詩碑》(平成20年11月23日撮影) 典拠であるという『随聞』を少し調べただけであやかしだということが直ぐ判るのに、なぜ賢治研究家は沈黙し続けているのだろうか? だから私は問いたい、「あなたは賢治の目を真っ直ぐに見れますか」と。
では、この〝『随聞』二一五頁〟、
昭和二年十一月ころだったと思います。…(投稿者略)…その十一月びしょびしょみぞれの降る寒い日でした。
「沢里君、セロを持 . . . 本文を読む
《賢治詩碑》(平成20年11月23日撮影) 典拠であるという『随聞』を少し調べただけであやかしだということが直ぐ判るのに、なぜ賢治研究家は沈黙し続けているのだろうか? だから私は問いたい、「あなたは賢治の目を真っ直ぐに見れますか」と。
さて、その典拠だというところの〝『随聞』二一五頁〟を実際に見てみると次のようになっている。
昭和二年十一月ころだったと思います。…(投稿者略)…その十一月びし . . . 本文を読む