裏山(9/28)報告の続きである。
気になっていた〝あれではないかと秘かに思っている〟は
《1 やはりセンダイトウヒレンだった》(平成23年9月28日撮影)
《2 〃の葉》(平成23年9月28日撮影)
《3 オクモミジハグマに蟻》(平成23年9月28日撮影)
《4 〃 に蜘蛛》(平成23年9月28日撮影)
《5 〃 》(平成23年9月28日撮影)
《6 オケラ》(平成23年9月2 . . . 本文を読む
34. 「賢治と千葉恭の同居期間」の仮説
さて肝心の、千葉恭はいつからいつまで賢治と一緒に暮らしていたかである。つまり、賢治が下根子桜で『独居』でなかった期間はいつからいつまでかである。
一般にお役所の人事の発令の期日は〝きり〟の良いところ、月初めが多いはずである。なのに千葉恭が一旦役所を辞めた日にちは中途半端な22日であることから、これは上司との折り合いが悪く突如辞表を出したと解釈できる本人 . . . 本文を読む
以前〝裏山報告(8/20)(後編)〟で報告したあの気になっていた〝あれではないかと秘かに思っている〟を確認するために9月28日に行ってみた裏山の報告である。
《1 オクモミジハグマ》(平成23年9月28日撮影)
今回一番目だって多かったのがこのオクモミジハグマであった。前回訪れたときも咲いていたから、オクモミジハグマの花というものは結構長い間咲いているものなのだ。
《2 ユウガギク》(平成2 . . . 本文を読む
33. 千葉恭昭和8年の勤務先
それにしてもどうしてなのだろうか、『新校本 宮沢賢治全集』(筑摩書房)の年譜等も含めどんな本を見ても、下根子桜の別荘で千葉恭が賢治と一緒に寝食を共にしていた時期や期間は今だもってはっきり記されていないようだ。
しかしとりあえず、この度あるルートを通じて千葉恭が穀物検査所を一旦辞めた年月日、そして正式に復職した年月日等がやっと判明した。そしてこれらの日にちは100 . . . 本文を読む
9月27日に訪れた胡四王山の報告である。
《1 センブリが咲いている》(平成23年9月27日撮影)
《2 〃 》(平成23年9月27日撮影)
《3 〃 》(平成23年9月27日撮影)
《4 〃 》(平成23年9月27日撮影)
《5 ウメバチソウもまだ咲いている》(平成23年9月27日撮影)
《6 〃 》(平成23年9月27日撮影)
《7 〃 》(平成23年9月27日撮影)
《8 . . . 本文を読む
32. 賢治と千葉恭の同居期間について
はてさて、宮澤賢治は下根子桜で千葉恭とある期間寝食を共にしているはずだが、一体いつからどれくらいの期間一緒に暮らしていたのか未だもってはっきりさせられないでいる。それはそもそもこの期間や時期に関して賢治自身は一言も、そして千葉恭自身ははっきりと言っていないせいでもある。
(1) 千葉恭の言っていること
ただし振り返ってみれば、千葉恭自身は次のようなことは . . . 本文を読む
9月24日に訪れた南昌山の報告である。山肌は沢山のオクトリカブトで色着いていた。
《1 センダイトウヒレン》(平成23年9月24日撮影)
《2 〃 》(平成23年9月24日撮影)
《3 オヤマボクチ》(平成23年9月24日撮影)
《4 〃 》(平成23年9月24日撮影)
《5 何?アザミ》(平成23年9月24日撮影)
《6 〃 》(平成23年9月24日撮影)
《7 〃 》(平成23 . . . 本文を読む
9月24日に訪れた葛丸渓流沿いの植物の報告である。
《1 サワアザミ》(平成23年9月24日撮影)
《2 〃 》(平成23年9月24日撮影)
《3 ミヤマセンキュウ》(平成23年9月24日撮影)
《4 〃 》(平成23年9月24日撮影)
《5 〃の花》(平成23年9月24日撮影)
《6 よく見るとキアゲハ?の幼虫》(平成23年9月24日撮影)
《7 ヤマゼリ?》(平成23年9月2 . . . 本文を読む
以前訪れた際にはまだ蕾だったアケボノソウもう咲いている頃だろうと、やっと青空が戻った9月24日再び訪れたみた。
《1 期待通り開花中》(平成23年9月24日撮影)
《2 やはり魅力的》(平成23年9月24日撮影)
《3 黄緑色の大きな斑点は蜜腺、蟻吸蜜中》(平成23年9月24日撮影)
《4 〃 》(平成23年9月24日撮影)
《5 全体像》(平成23年9月24日撮影)
《6 典型的な . . . 本文を読む
約1週間ぶりに訪れた胡四王山である。そろそろサラシナショウマや、センダイトウヒレンそしてオヤマボクチ等も咲いているのではなかろうかと。
《1 こちらは予想通り咲いていたセンダイトウヒレン》(平成23年9月23日撮影)
《2 その葉》(平成23年9月23日撮影)
そしてこれは以前前触れをした〝秘かにあれかと思っているキク科〟そのものである。
《3 ナンブアザミ》(平成23年9月23日撮影) . . . 本文を読む
31. 高村光太郎の随筆集『獨居自炊』
当初は「独居自炊」というキャッチフレーズで修辞されることのなかった賢治の「下根子桜時代」だったが、いまではどんな本でも賢治の「下根子桜時代」は決まって「独居自炊」と修辞されていると言っていいだろう。
実際、『宮沢賢治全集 十一』(筑摩書房、昭和32年版)の年譜では
四月、花巻町下根子櫻に自炊生活を始め、附近開墾し畑を耕作した。
のように〝自炊〟だけであ . . . 本文を読む
以前〝下根子桜の自活開始〟で触れたように、賢治が下根子桜の宮澤家別荘に移り住んでから詠んだ詩
〔そもそも拙者ほんものの清教徒ならば〕
…
八月までは
だまってこれだけ食べる筈
けだし八月の末までは
何の収入もないときめた
この荒れ畑の切り返しから
今日突然に湧き出した
三十キロでも利かないやうな
うすい黄いろのこの菊芋 . . . 本文を読む
30. 一体いつから〝独居自炊〟に
振り返ってみるに、なぜ私はここまでこんなことを行ってきたのか。
少し前までの私は、「下根子桜時代」の宮澤賢治は〝独居自炊〟生活をしていたとばかり思っていた。ところが実は約半年間賢治は千葉恭という人物と寝食を共にしていたということを、賢治は「下根子桜時代」〝独居〟じゃなかった期間もあったのだということを知ってしまった。賢治の地元に長いこと住んでいながら私はその . . . 本文を読む
29. 賢治から甚次郎がどやされた日
では、私にとっては『もう一つの〝1回だけ〟の持つ意味の方が重要な意味を持っていたのだが』についてここでは述べてみたい。
そもそもなぜ私はここまで松田甚次郎の下根子桜の訪問回数とその日がいつかを調べてきたのかというと、松田甚次郎が賢治から〝どやされた〟と千葉恭の目からは見えた日がいつかを決定したかったからだ。
(1) 千葉恭は賢治から〝どやされた〟甚次郎を見 . . . 本文を読む
本日は宮澤賢治の命日だ。この日は例年下根子桜では『賢治祭』が行われているという。しかし、花巻に住むようになってから20年近くなるが一度も見に行ったことはない。忌日に行われる〝祭〟というのにはどうも躊躇いがある。
さて本論に戻ろう。
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