みちのくの山野草

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羅須地人協会での自給自足

2020-12-24 20:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『宮沢賢治――地人への道』(佐藤成著、川嶋印刷)〉

 さて、松田甚次郎は「自給自足の生活」を目指したわけだが、羅須地人協会時代の賢治も「自給自足」を目指したとよく言われている。
 ではなぜ賢治はそう言われるのだろか。そのことについては、たとえば『宮沢賢治――地人への道』(佐藤成著、川嶋印刷)を読んでみると、成る程と思わせられる。というのは、同書の「2 羅須地人協会 活動の構想」の中にはこんなことが述べられているからである。
 羅須地人協会活動の構想の中にはこの様なものがあった。
(冬期製作品分担)
 農民服――藤井 吉太郎、伊藤 忠一
 帽子――伊藤 与蔵
 皮帽子――根子 吉盛
 木工――伊藤 克己
 木琴、ルパシカの紐――渡辺 要一
 花壇設計――平 來作
その他、被服修理、食料品加工、美術工芸品制作などの実現を図ったが結実には至らなかった。
 根子吉盛はこのことについて次の様に話している。
 …投稿者略…
 川加工については、当時花巻地方では養蚕が盛んであり、生糸は輸出産業として重要なものでありました。その養蚕の際に出来る蚕沙を捨てることなく乾燥して貯蔵、それを緬羊飼育の冬期間の資料として活用するというのです。すると緬羊を飼育することにより羊毛がとれる。これは毛糸にする、ホームスパンにする、肉は食用にする。皮はなめして農民服(ジャンパー式のもの)を作る。すべて自給自足の体制をとるというようなことでありました。
             〈『宮沢賢治――地人への道』(佐藤成著、川嶋印刷)308p~〉
 たしかに、この記述に従えば、羅須地人協会時代の賢治も「自給自足」を目指したと言えるだろう。まさに、「緬羊を飼育することにより羊毛がとれる。これは毛糸にする、ホームスパンにする」ということであれば、前回〝羊を飼ってホームスパン〟で述べた内容を彷彿させるからだ。ただし残念ながら、いみじくも「実現を図ったが結実には至らなかった」と付言してあるように、構想段階で終わったということになりそうだ。
 逆に言えば、吉本隆明がある座談会で、
 日本の農本主義者というのは、あきらかにそれは、宮沢賢治が農民運動に手をふれかけてそしてへばって止めたという、そんなていどのものじゃなくて、もっと実践的にやったわけですし、また都会の思想的な知識人活動の面で言っても、宮沢賢治のやったことというのはいわば遊びごとみたいなものでしょう。「羅須地人協会」だって、やっては止めでおわってしまったし、彼の自給自足圏の構想というものはすぐアウトになってしまった。その点ではやはり単なる空想家の域を出ていないと言えますね。しかし、その思想圏は、どんな近代知識人よりもいいのです。
           〈『現代詩手帖 '63・6』(思潮社)18p〉
と語っているが、改めて吉本の、
 「羅須地人協会」だって、やっては止めでおわってしまったし、彼の自給自足圏の構想というものはすぐアウトになってしまった。
という断定は否定できないということを覚った。さらに、賢治も甚次郞も「自給自足」を目指したが、その実践内容は比較するまでもない、ということもまたである。

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            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
            ☎ 0198-24-9813
 なお、目次は次の通りです。

 そして、後書きである「おわりに」は下掲の通りです。



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