みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

伊藤アサ「思い出」

2020-10-16 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『寂光「素直な土」』(間宮 一編、松田睦子発行、昭和51年8月4日)吉田矩彦氏所蔵〉

 では今回は、伊藤アサから寄せられた「思い出」についてである。そこには、こんなこと、
 「土に叫ぶ」の中で松田甚次郎さんは、わたしのことを詳しく記されています。…投稿者略…松田さんがいかに農村婦人運動に心を傾倒されていたのか、しのばれてならないのでございます。
             〈『寂光「素直な土」』(間宮 一編、松田睦子発行、昭和51年8月4日)14p〉
がまず書かれていた。
 ところで、この「「土に叫ぶ」の中で松田甚次郎さんは、わたしのことを詳しく記されています」とは、同書の109p~の項「増子女史」を指しており、この「わたし」とは増子あさのことである。この人は助産婦であり、『月刊 すばらしい山形』(1991年12月号、相沢嘉久治編)によれば、伊藤アサはについては、
 村塾は、その後、造築したり畜舎を建てたりして整備され、一年間通しての長期講習に踏み切った。村塾の名声は次第に広まり、入塾希望者は県外からも集まった。この中の一人に茨城県から来た増子あさがいた。あさは、住井すゑから教えられて村塾に来たが、甚次郎や塾生と共に真っ黒になって働いた。また、助産婦の資格を生かして、村に「出産相扶会」を組織し、女性の健康やお産のことを指導した。その働きぶりはいまも村人の語り草になっている。彼女は一時村塾を離れるが、再び鳥越に帰って村の人と結婚し、生涯をこの地で送った。
ということが述べられている。

 話を元に戻そう、「思い出」はこう続く。
 その熱心さにひかれて、鳥越に参ったのでございますが、あれはたしかに春だったと思います。新庄の駅におりるとまだ肌寒いころでした。〝葉書〟は出してありましたが、お目にかかったこともなく不安でございました。住井さんから松田さんのことは聴かされていましたが、駅にそれらしい方は見えられませんどうしたものか思っていたら、二、三人の若い男の方が〝鳥越〟と印の入った手拭を持っているのが目につきましたのでございます。もしかしたら松田さんの代わりの青年じゃないかと思って「鳥越の方ではありませんか」と訪ねたのでございます。ところが「鳥越の松田です」といわれてびっくりいたしました。ほんとうにあんな若い方だとは想像もしていませんでした。
 そうしたわけで松田さんと一緒に頑張ることになりましたが、冬になって雪の深いことには慣れぬことゝは申せ全く困りました。山を越えて吹雪の中を助産に往復する夜など嘆息をもらしたこともあります。松田さんはそんなわたしを励まして下さいましてほんとうに勇気が出ました。
             〈『寂光「素直な土」』(間宮 一編、松田睦子発行、昭和51年8月4日)14p〉
 なお、このことに関連して松田甚次郎はその『土に叫ぶ』の中で、
 三十五六歳頃の極めて地味な和服の婦人が近づいて「鳥越の方ではありませんか」と尋ねた。私は「さうです、鳥越の松田です」と答へた。「お世話になり上がつた增子で」とまづ何やら無事に迎へることが出來たのです。
           〈『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)113p〉
と書いているので、伊藤の先の言と符合している。

 以前少しく言及したように、甚次郎は昭和6年に大日本連合青年団指導者養成所の第1回生として入所。その際に、住井すゑや奥むめをなどのことを知り、農村婦人解放の決意を新たにしたという。そしてその住井の紹介で、伊藤アサ(増子あさ)は新庄にやって来たのだという。このことに関連しては、やはり『土に叫ぶ』の中に、
 昭和七年の五・一五事件は水戸魂のこもつた愛郷塾が中核をなし、その中には女史(投稿者註:伊藤アサのこと)の妹の許嫁が連座してゐたのである。女史は一層悶え苦しんで、一身一家一郷を犠牲にしてまで、瀕死の農村を救はんと起つた同鄕知人の義擧を見て、同じ土を耕し同じ水戸魂の流れを汲んでいる自分は、一家を持たない獨身者である。悶えながら都で働いてゐるよりは、これを機會に土の生活と農村奉仕に行くべきであると、決心してしまつた。
             〈同111p~〉
と書かれている。
 ところで今迄は読み過ごしていたのだが、この記述に従えば、伊藤アサの「妹の許嫁」は「愛郷塾」と繋がりがあることが示唆される。つまり、橘孝三郎の企てたこの事件が切っ掛けで、伊藤は新庄の鳥越に意を決してやって来たということになる。そういう意味では、甚次郎と農本主義者である橘との間に繋がりがあったかといえば、あったとは言えるかもしれない。
 
 続きへ
前へ 
 “「松田甚次郎の再評価」の目次”へ。
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

《出版案内》
 この度、『宮沢賢治と高瀬露―露は〈聖女〉だった―』(「露草協会」、ツーワンライフ出版、価格(本体価格1,000円+税))

を出版しました。
 本書の購入を希望なさる方は、葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として当該金額分の切手を送って下さい(送料は無料)。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
 なお、岩手県内の書店における店頭販売は10月10日頃から、アマゾンでの取り扱いは10月末頃からとなります。
            
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 御在所沼(10/13、ネバリノギ... | トップ | 御在所沼(10/13、沼) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

甚次郎と賢治」カテゴリの最新記事