みちのくの山野草

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『家の光』と産業組合

2020-11-20 12:00:00 | 甚次郎と賢治
《『家の光 創刊号』(復刻版、不二出版)》

 ところで、以前『家の光』に関して投稿したことがある。その際、「産業組合」という用語が目立ったことを思い出した。
 ちなみにその投稿の中で引いた、『家の光』の「創刊号」の巻頭言「共同心の泉」は次のようなものであった。
  共同心の泉
     志村 源太郎
 力の弱い一人一人が、とても出來ない仕事でも、二人が一人となりて、しつくり組合へば、案外たやすく成し遂げられる。故にわれ等の理想は、同心協力の精神であり、共存同榮の社會である。
 産業組合は此の理想を日常の生活に實現せんとするものであるから、之に最も大切なものは組合員の共同精神である。この共同精神を養ふところは、實に組合員の家庭そのものである。親も子も、夫も妻も、老いも若きも、互に理解し、互いに勵まし、互に慰め、心から協力和合し、一家を擧げて一樣に愉快で幸福な家庭に於て、はじめて眞の共同精神が養はれる。家庭は卽ち共同心の泉であつて、組合員の力強い共同精神は常に健全なる家庭から流れ出る。其の清い精神を汲み取つて産業組合を培養すれば、必ずや、美しい花が咲き、實がなるのである。
 本誌目的は、この共同心の泉を家庭に於いて涵養せんとするに存する。
             <『家の光〔復刻版〕』(不二出版)>
 よって、「其の清い精神を汲み取つて産業組合を培養すれば」という文言から、『家の光』は産業組合の宣伝・普及のための啓蒙雑誌であったと言えそうだ。
 実際、綱澤氏は、
 『家の光』は未曾有の農村恐慌により疲弊のどん底に喘ぐ農民を「協同組合主義」によって慰撫し、また望むべくは「助け合い精神」によって、農民の自力更生の道を道をきり開こうとして発刊されたのである。
            〈『日本の農本主義』(綱澤 満昭著、紀伊國屋新書)114p〉
と位置づけており、なるほどそういう思想によったものかと私は知った。
 一方、板垣邦子氏は、大正14年~昭和3年頃の『家の光』に関して次のようにより具体的に分析していた。
 農村文化建設の提唱
 創刊号以降昭和三年頃までの『家の光』は、芸術・娯楽を主な内容とした農村文化問題に力を入れている。この時期、この問題の占める比重は大きく、農民文学・農民美術・農民劇に関する記事は、農民芸術運動を盛り上げようとする意欲を感じさせる。家庭雑誌といいながら、農村青年層を対象とした文芸雑誌的傾向さえある。
 農村の経済的不振、青年男女の都会集中、小作争議の頻発にみられる農村良風俗の荒廃を憂うという立場から、『家の光』は農村文化の建設を提唱する。その趣旨は、農村が独自の立場を堅持し、なおかつ現代文明を摂取して農村にふさわしい文化を建設し、生活の豊かさをとりもどさねばならないというものである。退廃に堕した都会文化への憧憬を捨て、健全な農村文化を築くべきであるという。
           <『昭和戦前・戦中期の農村生活』(板垣邦子著、三嶺書房)18p~>
 よって、板垣氏の「創刊号以降昭和三年頃までの『家の光』は、芸術・娯楽を主な内容とした農村文化問題に力を入れている」というこの分析を知ると、内容のみならず時期的にも、羅須地人協会時代の賢治が思い描いていたもの<*1>と『家の光』は通底していると直感してしまう。延いては、「羅須地人協会時代」は賢治の新規性によって生まれたというよりは、第一次大戦(大正3年~大正7年)後全国に産業組合が普及したという時代の流れの中で生まれたものであった、という解釈もできそうだ。

<*1:投稿者註> (1)『大正15年4月1日付岩手日報』 
   新しい農村の建設に努力する
         花巻農學校を辞した宮澤先生
 花巻川口町宮澤政治郎氏長男賢治(二八)氏は今囘縣立花巻農学校の教諭を辞職し花巻川口町下根子に同志二十餘名と新しき農村の建設に努力することになつたきのふ宮澤氏を訪ねると
 現代の農村はたしかに経済的にも種々行きつまつてゐるやうに考へられます、そこで少し東京と仙台の大學あたりで自分の不足であった『農村経済』について少し研究したいと思ってゐます。そして半年ぐらゐはこの花巻で耕作にも従事し生活即ち藝術の生がいを送りたいものです、そこで幻燈會の如きはまい週のやうに開さいするし、レコードコンサートも月一囘位もよほしたいとおもつてゐます幸同志の方が二十名ばかりありますので自分がひたいにあせした努力でつくりあげた農作ぶつの物々交換をおこないしづかな生活をつづけて行く考えです
と語つてゐた、氏は盛中卒業後盛岡高等農林學校に入学し同校を優等で卒業したまじめな人格者である。

(2)『昭和2年2月1日付岩手日報』
   農村文化の創造に努む
         花巻の青年有志が 地人協會を組織し 自然生活に立返る
花巻川口町の町會議員であり且つ同町の素封家の宮澤政次郎氏長男賢治氏は今度花巻在住の青年三十餘名と共に羅須地人協會を組織しあらたなる農村文化の創造に努力することになつた地人協會の趣旨は現代の悪弊と見るべき都會文化に對抗し農民の一大復興運動を起こすのは主眼で、同志をして田園生活の愉快を一層味はしめ原始人の自然生活たち返らうといふのであるこれがため毎年収穫時には彼等同志が場所と日時を定め耕作に依って得た収穫物を互ひに持ち寄り有無相通する所謂物々交換の制度を取り更に農民劇農民音楽を創設して協会員は家族団らんの生活を続け行くにあるといふのである、目下農民劇第一回の試演として今秋『ポランの廣場』六幕物を上演すべく夫々準備を進めてゐるが、これと同時に協会員全部でオーケストラーを組織し、毎月二三回づゝ慰安デーを催す計画で羅須地人協会の創設は確かに我が農村文化の発達上大なる期待がかけられ、識者間の注目を惹いてゐる(写真。宮澤氏、氏は盛中を経て高農を卒業し昨年三月まで花巻農學校で教鞭を取つてゐた人


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            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
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