みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

埼玉 中澤省三

2020-08-16 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉

 では、今回は埼玉の中澤 省三から寄せられた次のような追悼を転載させてもらう。
  埼玉 中澤 省三
私が先生を師と仰ぐやうになりましたのは昭和十三年㐧一回「土に叫ぶ」の著書を拝見して以来、先生こそ農民の師であることを信じ著書を通じ農魂を養ひ常に畏敬して居りました。其の後「野に起て」「續土に叫ぶ」等により愈々先生の崇高なる人格に接し新たなる農民道の御教示を得て、皇国農民としての自覺を持つたのであります。今回計らずも先生突然の訃報を知り、驚愕為す處を知らず、天の無情を痛感いたしました。然しながら先生の英姿今は無きも先生の御霊こそ皇国農村の礎となりて農村を守護して居なさる事を信じます。私達は直接間接に先生の師弟は今こそ先生の霊に報ひる可く先生の精神を体し、日本農民魂をもつて皇国の守護に誠心を捧げん。
             〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)32p〉
 さて、以前にも触れたことだが、
 松田とともに「山形賢治の会」の創立や運営をともにした同志的な人々の中にも、彼松田を、思いあがりとか、時流にのり、国策におもね虚名を流したという人もいた。
という。では、この「時流にのり、国策におもね」とは具体的にはどんなことを指すのだろうか。もしかすると、「同志的な人々の中に」は、この追悼の中に登場してくる、例えば
    農民道の御教示得て、皇国農民としての自覚を持つたのであります
がその証左だという人もいるかもしれないが、そうとは言い切れないだろう。それは、松田甚次郎自身がそう企てたわけではなく、中澤がそう受けとめたとも考えられるからだ。言い方を変えれば、時代の流れがそうさせたのであり、おのずから「同志的な人々」も松田甚次郎と似たり寄ったりだったのではなかろうか。そんな仮説を立てたくなってきた。そしてまた一方で、松田甚次郎の実際の実践を検証してみる必要が一層増してきた。

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『宮沢賢治と高瀬露 ―露は〈聖女〉だった―』(『露草協会』編、ツーワンライフ社、定価(本体価格1,000円+税))

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Ⅱ「宮沢賢治伝」の再検証㈡―〈悪女〉にされた高瀬露―      上田 哲
Ⅲ 私たちは今問われていないか―賢治と〈悪女〉にされた露―  鈴木 守
の三部作から成る。
             
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