〈『「賢治精神」の実践【松田甚次郎の共働村塾】』〉
では、今度は「村をあげての麹・醤油・味噌・澱粉つくり」という項からであり、それは、
自給肥料としての堆肥つくりも貧農なるが故の発想であったが、日々母農家生活で、現金支出を最も多く用したのは何といっても、日常の食品の中でも調味料であった。
〈『「賢治精神」の実践【松田甚次郎の共働村塾】』(安藤玉治著、農文協)55p〉と始まっていた。私は誤解をしていたようで、「現金支出を最も多く用した」のが「調味料であった」とは思ってもいなかった。そして、それ故に甚次郞は「村をあげての麹・醤油・味噌・澱粉つくり」をして自給しようと取り組んだということになるのか、と覚った。
そして、同書によれば、最初に取り組んだのが、麹つくりであり、全戸の協力をとりつけ、麹作業室をつくったという。のみならず、同時に醤油専用室や醤油タンクも設置したという。しかも、研究の結果、米糠醤油の醸造にも成功し、小麦醤油より安くて栄養価が高かったことから「栄養醤油」と名づけられて好評を博したという。さらに、澱粉製造や味噌づくり、水あめつくりなどにも取り組んだという。
さらに安藤は、
これら加工品の残滓は、飼育している家畜の餌として利用される。自給をはかることは、その家の家産がだんだんと増えていくことなのである。貧しさを克服するための方途が「自給自足」なのである。
〈同56p〉と最後まとめていた。
するとここで思い出すことは、花巻農学校を辞めた賢治も、羅須地人協会に移り住んで一人で生活する自給 自足の生活を始めたといわれていることだ。そして、甚次郞の取り組んだ「自給自足」と、賢治の「自給自足」とでは、その実践内容も深さも、期間もスケールの面等でも比べものにならないものであった、ということを私は思い知らされた。
それは、以前ならば菅谷規矩雄が、
なによりも決定的なことは、二年数カ月に及ぶ下根子桜の農耕生活のあいだに、ついに宮沢は〈米をつくる〉ことがなかったし、またつくろうとしていないことである。それがいかなる理由にもせよ、宮沢の〈自耕〉に〈稲作〉が欠落しているかぎり、「本統の百姓になる」ことも自給生活も、ともにはじめから破綻が必至であったろう。
〈『宮沢賢治序説』(菅谷規矩雄著、大和書房)98p~〉と言っていることに抵抗感があったのだが、今となっては、まさにそのとおりだと言わざるを得なくなったということでもある。
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なお、目次は次の通りです。
そして、後書きである「おわりに」は下掲の通りです。
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