《創られた賢治から愛すべき賢治に》 今年一年間大変ありがとうございました。
私の平成25年は、この夏(平成25年7月2日)の早池峰登山を最後に、今後は早池峰登山を封印すると宣言した年となってしまいました。その際に出会えたのがこれらのハヤチネウスユキソウです。
《1》(平成25年7月2日撮影)
《2》(平成25年7月2日撮影)
かなり以前からのようですが、スイスアルプスではかのエーデルワイ . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》 平成25年、私が今年一番残念に思ったことは何か。それはH氏やその仲間「デジマア」「とおりすがり」「s」さん等からの、私及び拙著『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』に対する誹謗中傷と執拗なクレームがあったことである。
*****************<「宮澤賢治研究」の新たな発展のために>****************** 東日本大震災後、〔雨ニモマ . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》伊藤克己の証言
この12月28日に下根子桜の「賢治詩碑」を訪ねた。その時、伊藤克己のある回想を思い出した。それは機関誌『イーハトーヴォ第5号』(昭和15年3月発行)所収の「詩碑通信(其の二)」に載っている次のような一節である。
しかし、その当時の先生の生活は、毎日烈しい苦行そのものゝ生活であつたと思ひます。毎晩十一時頃になると、井戸の傍にある水槽の冷たい水で行 . . . 本文を読む
昨日(平成25年12月28日)下根子桜に行ってみた。
《1 同心屋敷から「賢治詩碑」方向》(平成25年12月28日撮影)
《2 歌碑「春」》(平成25年12月28日撮影)
《3 歌碑〔あすこの田はねえ〕》(平成25年12月28日撮影)
《4 》(平成25年12月28日撮影)
《5 》(平成25年12月28日撮影)
《6 》(平成25年12月28日撮影)
《7 》(平成25年12月28 . . . 本文を読む
《本日12月29日は高瀬露の生誕112年周年目の誕生日である》
「「宮澤賢治伝」の再検証(二)」より
荒木 ところで上田哲はこの論文に「にされた高瀬露」というサブタイトルを付けているくらいだから、上田はいわゆる「露伝説」に疑問を抱いているわけだよな。俺はまだ同論文を精読していないので、ここまでに引用してきた部分以外で、この「疑問」に関わって俺たちがチェックをしておく必要のある個所はどの辺なのかを . . . 本文を読む
花巻の時宗のお寺、常樂寺(中根子拾六古館前)に行ってみた。
上根子の薬王堂の近くの「中根子」バス停付近に
《1 「時宗 常樂寺」の門があり》(平成25年12月27日撮影)
そこからしばらく南方向に行くと
《2 「常樂寺」》(平成25年12月27日撮影)
があった。
ご住職がおられたので、「こちらには歌碑があるとお聞きして参りましたが、どこにおありのなのでしょうか」と訊いてみたら、「そのよ . . . 本文を読む
以前〝胡四王山のツルマサキの果実〟において、初見の「ツルマサキの果実」を投稿したが、いままでは気にも留めていなかった展勝地にもそのツルマサキの果実がなっていることをこの度知った。
それは、サトーハチロー記念館と道路を挟んで反対側の所に、しかも数本があり、いずれも赤い実がたわわであった。
《1 》(平成25年12月27日撮影)
《2 》(平成25年12月27日撮影)
《3 》(平成25年12 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》早池峰登山封印と露伝説
7月の早池峰登山、この年はたまたま近来まれに見るコバイケイソウの花の当たり年であり、それは早池峰も例外ではなかったのでたっぷりと早池峰の素晴らしさと醍醐味を三人は堪能できた。
しかしその登山後のミーティングの終わりがけに、
鈴木 私は今回の早池峰登山を最後に、今後早池峰登山を封印することにした。といきなり宣言した。
荒木 なんだよ、突然 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》 それでは、『宮沢賢治聲聞縁覚録』から最後にもう一つだけ投稿してこのシリーズを終えたい。次のようなこともそこには記されていた。
(森荘已池が)昭和十四年に新聞社を止めたのは、十字屋版宮沢賢治全集の編集を依頼された為であった、数え年三十五才であった。その機会を決意して自費出版したのが「店頭」だったのである。しかし出版費一千円は、花巻の佐藤勝治さんが分家する為に両親 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》 それでは、『宮沢賢治聲聞縁覚録』から小倉豊文の出身地広島に関連して少しだけ投稿してみたい。
戦時下の賢治
同書には、
賢治に就いての広島の人々の関心――一般的には原爆後の廃墟に燃え上がったといってもよいであろう。これはある程度全国的にもそういえるかと思うが、それには戦時中の「大政翼賛会」的な暴政によって、賢治がいわば悪く利用されたことが、かなり役立っていたの . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》高瀬露の写真
吉田 ところで、高瀬露の同僚に会ったんだって。
鈴木 そうなんだよ、会えたんだよ。元教員の佐藤誠輔という知的な老紳士で、かつて露と遠野の青笹小学校で一緒に勤めていた方だった。なおかつ、佐藤氏の奥様も露と同僚だったというんだ。
そんなわけで、佐藤氏は露のことを良く知ってみるとどうも巷間伝わっているような人ではないのではなかろうかと思い立ち、いろいろ . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》 それでは、阿部孝自身の証言そのものズバリではないが、『宮沢賢治聲聞縁覚録』所収「阿部孝さんと賢治(三)」の中から気になったことを少しだけ引き続いて投稿してみたい。
そこには、
大正10年十二月三日、東京から帰って稗貫郡立稗貫農学校(翌々年から岩手県立花巻農学校となる)教諭となり、その少し前から花巻高等女学校の音楽教師藤原嘉藤治さんと知り合って音楽にも熱中し、 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》しどろもどろなまとめ
鈴木 じゃあ、飛田三郎のことは後で調べてみることにして、このような客観的な資料も見つかったことによって今まで私たちが調べてきたことはほぼ間違いでなかったと言えそうだから、今までのことを一応まとめてみたいな。
荒木 おぉ、そうしてみるべ。
鈴木 ではまいりましょう。
Mは検証もすることもなく単なる噂話を基にしたり、想像力などを駆使したりして
. . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》「阿部孝さんと賢治(二)」より
それでは、『宮沢賢治聲聞縁覚録』所収「阿部孝さんと賢治(二)」の中から気になったことを引き続いて投稿してみたい。
まずは、著者の小倉が阿部孝の「題をほめる」について言及するところからである。
「ばら色のばら」の中の「賢治と私」の四「題をほめる」は、賢治から「春と修羅をもらって礼状を書いた時、たぶん私は、詩の中身をほめずに、『春 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》「寶閑小学校資料」みつかる
鈴木 ところでさ、実は寶閑小学校に関するこんな冊子資料が見つかったんだ。そこにはほら、当時の概要等が書いてある。
例えば【校地・校舎の変遷】についてはこの通りだ。そう言って私は次のような頁を開いて二人に見せた。
吉田 おお、たしかによさそうな資料じゃないか。一体どこで見つけた?
鈴木 それはちょっとヒ、ミ、ツ。
荒木 なにっ~、あの . . . 本文を読む