<Fig.1 昭和6年7月19日付 岩手日報>
この当時の報道には『俵米出廻』という用語が出て来ている。たとえば、このブログの先頭の記事には、次のような内容で使われている。
【昭和6年7月19日付 岩手日報】
最近殆どない 花巻の俵米出廻 農家の売惜しみから
花巻地方の俵米出廻りは本月初旬来皆無の有りさまで米商筋も至って閑散の形ちだこれは六月中旬以降気候頗る変調で随つて本年の稲作も気 . . . 本文を読む
<↑ Fig.1 昭和6年7月16日付 岩手日報>
前回、岩手は7月の異常低温で稲作が心配だということだったが、全国的にはどのような状況なのだろうか。そのことが、このブログの先頭の記事から窺える。
その内容は以下のとおり。
【 昭和6年7月16日付 岩手日報】
本年度の 稲作状況 不良の地多し
(東電)本年度の稲作状況は苗代期に於て一般に気温が例年に比して低く苗の発育遅れ移植期も . . . 本文を読む
前回、7/8付岩手日報に依れば”気温漸く順調 心配ない稲”ということであったが、このブログの先頭の記事によればそうとばかりももいえないようだ。
その記事内容は以下のとおり。
【昭和6年7月11日付 岩手日報】
夏・七月の寒さ 例年より十五、六低い此の頃 夏は何時来る?
十日の気温は十六度一分、華氏六十一度で例年より十五、六から低い気象状態について福井測候所長は語る…(以下略)
. . . 本文を読む
<Fig.1 昭和6年7月8日付 岩手日報>
前回、和賀地方の稲熱病被害の報道について触れたが、水沢地方は
気温漸く 順調 心配ない稲
という見出しのこれとは対照的な、このブログの先頭のような記事があった。記事内容は次のようなものである。
【Fig.2 昭和6年7月8日付 岩手日報】
七月だというのに六日の県南水沢地方の気温は華氏六十二度と云うこんな気候では稲熟発育に支障を来し稲熱 . . . 本文を読む
宮澤賢治が「雨ニモマケズ」を書いたのは昭和6年だという。
この年は冷害の年だったと聞いている。そこで、今度は昭和6年の新聞を調べてその検証をしたみたい。具体的には、まずは昭和6年7月の岩手日報における農業関係の記事を拾ってみた。
このブログの先頭の記事は、以前投稿した紫波地方の動力揚水に関連した記事で、その見出しは
【昭和6年7月3日付 岩手日報】
電気揚水は 小口の動力が 非 . . . 本文を読む
チューリッヒの街中に咲いていた野草などについての報告の続きである。
歩道に並ぶ
《1 植え込み》(平成21年7月7日撮影)
植え込みの樹木は
《2 菩提樹》(平成21年7月7日撮影)
その根元に咲く
《3 アキレア・ミレフォリウム?》(平成21年7月7日撮影)
《4 ややピンク色のアキレア・ミレフォリウム?》(平成21年7月7日撮影)
《5 ラセルピティウム・ハレリ?》(平成2 . . . 本文を読む
<Fig.1 昭和2年2月3日付 岩手日報>
先頭の記事は揚水機で上水した農業用水を流すために設置した掛樋の後始末の報道である。
【昭和2年2月3日付 岩手日報】
赤石村の掛樋処分 返還するかどうか五日協議会を開く
紫波郡赤石村では五日午後一時より同村々役場に下川原同村々長初め村内有志十数名県より坂?耕地整理課長、川崎主事等出席して昨夏かん害に際して使用した掛樋の処分に関し協議すること . . . 本文を読む
では、今回はチューリッヒの街中の野草についての報告をしたい。
具体的には、宿泊したホテルの周辺に咲いていたのものである。
これから
《1 コートヤード マリオット》(平成21年7月7日撮影)
の向かって右側のルエーティ・ヴァルタ通りを歩いてみて、そこに咲いている野草などの報告をしたい。
歩道の植え込みの周りには
《2 タチアオイが目立つ》(平成21年7月7日撮影)
《3 白色のタチア . . . 本文を読む
大正15年の米の収穫高がほぼ確定したようだ。具体的には以下のとおり。
【昭和2年1月25日付 岩手日報】
本県の実収高 九十四万七千余石 二十万石の減収
本県における大正十五年の米作付反別は水稲五万二千八百三十五町三反陸稲九百六十九町六反計五万三千八百四町九反にしてその収穫高は水稲九十三万七千四百二十二石陸稲一万五千石計九十四万七千四百七十二石なり之を前年に比するに作付け反別において . . . 本文を読む
では、今度はチューリッヒについて少し報告する。
バスがチューリッヒの街中に入ると
《1 グロスミュンスターが窓越しに見えた》(平成21年7月6日撮影)
バスは
《2 チュリッヒ公会堂前に駐車》(平成21年7月6日撮影)
隣には
《3 フラウミュンスター(Fraumünster)》(平成21年7月6日撮影)
が聳えている。なお、その奥に聳えている時計塔は聖ペータ教会のもの . . . 本文を読む
前回述べた様に、1/9付けの記事から旱害被害は赤石村のみならず、不動村や志和村も同じ様な惨状にあるということであったが、このブログの先頭の記事を見ればその被害はもっと広がっていたことが解る。
それは古館村の旱害被害も甚大だったという以下のような記事内容があったからである。
【昭和2年1月19日付 岩手日報】
得能知事が旱害地視察 寒さと飢えになく村民 正視するに忍びない 彼等のド . . . 本文を読む
もう少し胡四王山の報告を続ける。
《1 ドングリ》(平成21年12月19日撮影)
《2 山男の四月》(平成21年12月19日撮影)
《3 日時計花壇》(平成21年12月19日撮影)
《4 蔦、何と云う名なのだろう》(平成21年12月19日撮影)
《5 記念館前、よだかの星》(平成21年12月19日撮影)
《6 記念館入り口付近からの花巻の街》(平成21年12月19日撮影)
《7 . . . 本文を読む