この7月29日、県道12号花巻大曲線を北上していた際に、左手に見えた草地に入っていったところ、
《1 ガマの向こうに黄色い一群》(平成28年7月29日撮影)
《2 クサレダマだ》(平成28年7月29日撮影)
《3 》(平成28年7月29日撮影)
《4 》(平成28年7月29日撮影)
《5 あれっ、右隅に》(平成28年7月29日撮影)
《6 サワヒヨドリも》(平成28年7月29日撮影)
. . . 本文を読む
過日〝岩沢「ミズバショウ群生地」(7/24、初見で不明)〟にて投稿した「初見で不明」の花だが、その後どうなっているのだろうかと思ってこの7月30日再訪したところ、
《1 あまり変わりばえしていない》(平成28年7月30日撮影)
《2 葉先の》(平成28年7月30日撮影)
《3 昆虫を観察して》(平成28年7月30日撮影)
諦めて帰ろうとしたのだが、その先に
《4 サワヒヨドリかな》(平成2 . . . 本文を読む
この7月29日に訪れた種山高原はエゾアサイが一杯だった。
《1 》(平成28年7月29日撮影)
《2 》(平成28年7月29日撮影)
《4 》(平成28年7月29日撮影)
《5 》(平成28年7月29日撮影)
《6 》(平成28年7月29日撮影)
《7 》(平成28年7月29日撮影)
《8 》(平成28年7月29日撮影)
続きへ。
前へ 。
”みちのくの山野草”のトップに戻る . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 さてこれで、「羅須地人協会時代」の賢治が農繁期の稲作指導のために東奔西走したであろうことを裏付けてくれる候補群はほぼ出揃ったと考えられるので、これらから何が見えてくきそうかということを考えてみたい。
そのためにまず、前回の「候補群」の中で、私が調べてみた限りでは明らかに気象面や稲作被害等で事実誤認をしている個所は赤文字に変えてみたい。そしてこれまた同様に . . . 本文を読む
この7月29日に訪れた種山高原の「せせらぎの広場」に、今まで見たことがないルリソウに似たこんな花が咲いていた。
《1 》(平成28年7月29日撮影)
《2 》(平成28年7月29日撮影)
《3 》(平成28年7月29日撮影)
《4 丈は70㎝もあろうかかなりでかい》(平成28年7月29日撮影)
《5 》(平成28年7月29日撮影)
《6 果実》(平成28年7月29日撮影)
どう . . . 本文を読む
7月29日に訪れた種山の夕焼けである。
《1 》(平成28年7月29日撮影)
《2 》(平成28年7月29日撮影)
《3 》(平成28年7月29日撮影)
《4 》(平成28年7月29日撮影)
《5 》(平成28年7月29日撮影)
《6 》(平成28年7月29日撮影)
《7 》(平成28年7月29日撮影)
《8 》(平成28年7月29日撮影)
《9 》(平成28年7月29日撮影) . . . 本文を読む
では、この7月26日に訪れた新花巻駅近くの大森山の残りの報告である。
《1 カセンソウ》(平成28年7月26日撮影)
《2 ヒロハノカワラノサイコ》(平成28年7月26日撮影)
《3 ニガナ》(平成28年7月26日撮影)
《4 オトギリソウ》(平成28年7月26日撮影)
《5 セイヨウミヤコグサ》(平成28年7月26日撮影)
《6 ダイコンソウ》(平成28年7月26日撮影)
《7 ヤ . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 それでは今回は、ここまで調べてきたこと、つまり、「羅須地人協会時代」の賢治が農繁期の稲作指導のために東奔西走したということを裏付けてくれそうな記述のリストを時系列に沿って作ってみると以下のとおりになる。
・(昭和2年)七月の末の雨の降り樣について、いままでの降雨量や年々の雨の降つた日取りなどを聽き、調べて歸られた。昭和二年はまた非常な寒い氣候が續いて、ひ . . . 本文を読む
では、この7月26日に訪れた新花巻駅近くの大森山のクルマユリである。
《1 》(平成28年7月26日撮影)
《2 》(平成28年7月26日撮影)
《3 》(平成28年7月26日撮影)
続きへ。
前へ 。
”みちのくの山野草”のトップに戻る。
《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
本書は『宮沢賢治イーハトー . . . 本文を読む
では、この7月26日に訪れた花巻のとある沼周辺の花などの報告をする。
《1 もう咲いているのかヤマハギ》(平成28年7月26日撮影)
《2 ナンテンハギ》(平成28年7月26日撮影)
《3 ヒヨドリバナ》(平成28年7月26日撮影)
《4 イタドリ》(平成28年7月26日撮影)
《5 ガガイモ》(平成28年7月26日撮影)
《6 オニドコロ》(平成28年7月26日撮影)
《7 ヤブカ . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 それでは今回は、「羅須地人協会時代」の賢治が農繁期の稲作指導のために奔走したということと関連しそうな記述を『宮沢賢治の農業と文学』(大島丈志著、蒼丘書林)から探してみたい。
《『宮沢賢治の農業と文学』(大島丈志著、蒼丘書林)、平成25年6月)》
・「序章 宮澤賢治の生涯と農業 考察の方法」で大島氏は、
盛岡高等農林学校卒業であること、花巻農学校教師、 . . . 本文を読む
花巻のとある沼で
《1 ジュンサイの写真を撮っていたところ見かけぬ藻を発見》(平成28年7月26日撮影)
《2 あれここにも》(平成28年7月26日撮影)
《3 結構あるではないか》(平成28年7月26日撮影)
《4 あれっ、花らしきものも》(平成28年7月26日撮影)
《5 これが花?》(平成28年7月26日撮影)
《6 う~む》(平成28年7月26日撮影)
《7 違うんだ、これが . . . 本文を読む
約一年ぶりに新花巻駅近くのコオニユリの自生地に行ってみた。もうこの時期であれば沢山の花が咲いているだろうと。
《1 》(平成28年7月26日撮影)
《2 》(平成28年7月26日撮影)
《3 》(平成28年7月26日撮影)
《4 》(平成28年7月26日撮影)
《5 》(平成28年7月26日撮影)
というわけで、残念ながら一輪も咲いていなかったし、しかも個体数が激減していた。一体どうし . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 それでは今回は、「羅須地人協会時代」の賢治が農繁期の稲作指導のために奔走したということと関連しそうな記述を『宮沢賢治とその周辺』(川原仁左エ門編著)から探してみたい。
《『宮沢賢治とその周辺』(川原仁左エ門編著、昭和47年5月)》
・「農業技師」には、
大正十二年九月に、岩手県農会は新事業として、中経営一戸、小経営二戸、部分的共同経営組合一組合を選定 . . . 本文を読む
この7月24日に立ち寄った岩沢ミズバショウ群生地報告の最終回である。
《1 ノアザミ》(平成28年7月24日撮影)
《2 問題はこのアザミ》(平成28年7月24日撮影)
《3 花はナンブアザミっぽいが頭花が真っ直ぐに立っているから違う》(平成28年7月24日撮影)
かといって、頭花が真っ直ぐ立つキタカミアザミでもない。何者だろうか。
《4 ヒメジョオン》(平成28年7月24日撮影)
《5 . . . 本文を読む