〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉
では今回は、青森からの追悼であり、以下のようなものがあった。
青森 齊藤浩
日でり續きでずゐぶん危ぶまれた稻もどうやら実り、人々を生かす為に間もなく出廻るでせう。これらの稻田の中に立ちますと、ほんとに稻を愛でてゐる松田先生の幻影が去来します。
何年か以前一日の仕事も終り、十里の山道を自轉車に宅し、青森に於ける先生の座談會に出席したのが、後にも先にも先生に面會した一回でしかなかつた。
土に生まれて土に生き、しかして土に死した先生は幸福です。私は未だ先生のことを考へると無生に腹立たしく悲しく、私考が断片的になつてしまふのです。
〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)26p〉日でり續きでずゐぶん危ぶまれた稻もどうやら実り、人々を生かす為に間もなく出廻るでせう。これらの稻田の中に立ちますと、ほんとに稻を愛でてゐる松田先生の幻影が去来します。
何年か以前一日の仕事も終り、十里の山道を自轉車に宅し、青森に於ける先生の座談會に出席したのが、後にも先にも先生に面會した一回でしかなかつた。
土に生まれて土に生き、しかして土に死した先生は幸福です。私は未だ先生のことを考へると無生に腹立たしく悲しく、私考が断片的になつてしまふのです。
この追悼からは、松田甚次郎は「何年か以前」に青森でも講演をしていたことが示唆されるし、この時、齊藤浩は何と「十里の山道を自轉車で青森」まで、片道約40㎞の山道を馳せ参じていたことが知れる。しかも齊藤が甚次郎と相見えたのはこの時の只一回だったというのに、「これらの稻田の中に立ちますと、ほんとに稻を愛でてゐる松田先生の幻影が去来します」と追想しているわけだから、齊藤が甚次郎にとても心酔していたであろうことが窺える。
やはり甚次郎は、少なくとも人間的にとても魅力的な人物であったのであろう。例えば、偉ぶらないとか、人を立てるとか。
続きへ。
前へ 。
“「松田甚次郎の再評価」の目次”へ。
”みちのくの山野草”のトップに戻る。
《発売予告》 来たる9月21日に、
『宮沢賢治と高瀬露 ―露は〈聖女〉だった―』(『露草協会』編、ツーワンライフ社、定価(本体価格1,000円+税))
を出版予定。構成は、
Ⅰ 賢治をめぐる女性たち―高瀬露について― 森 義真
Ⅱ「宮沢賢治伝」の再検証㈡―〈悪女〉にされた高瀬露― 上田 哲
Ⅲ 私たちは今問われていないか―賢治と〈悪女〉にされた露― 鈴木 守
の三部作から成る。Ⅱ「宮沢賢治伝」の再検証㈡―〈悪女〉にされた高瀬露― 上田 哲
Ⅲ 私たちは今問われていないか―賢治と〈悪女〉にされた露― 鈴木 守
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます