《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》
先に私は『宮澤賢治と高瀬露』を自費出版した。この本は、
Ⅰ 「宮沢賢治伝」の再検証㈡ ―〈悪女〉にされた高瀬露― 上田 哲
Ⅱ 聖女の如き高瀬露 鈴木 守
二部構成になっていている。
かつて私は、上田の論文「「宮沢賢治伝」の再検証㈡ ―〈悪女 . . . 本文を読む
鎮守の森のトケンラン、今年も元気に咲いた。
《1 》(平成27年5月25日撮影)
《2 》(平成27年5月25日撮影)
《3 》(平成27年5月25日撮影)
《4 》(平成27年5月25日撮影)
《5 》(平成27年5月25日撮影)
《6 》(平成27年5月25日撮影)
《7 》(平成27年5月25日撮影)
今年も見事だった。
続きへ。
前へ 。
”みちのくの山野草”のト . . . 本文を読む
それでは、5月25日に訪れた胡四王山の残りの報告である。
《1 ニッコウキスゲ》(平成27年5月25日撮影)
《2 》(平成27年5月25日撮影)
昨年と比べて、今年は心なし、いやかなり少なし。
《3 ミヤマナルコユリ》(平成27年5月25日撮影)
《4 アヤメ》(平成27年5月25日撮影)
《5 カキツバタ》(平成27年5月25日撮影)
《6 〃 シロバナ》(平成27年5月25日撮影 . . . 本文を読む
種山からの帰途、木細工分教場と人首の街に立ち寄った。
《1 木細工分教場》(平成27年5月22日撮影)
《2 》(平成27年5月22日撮影)
以前立ち寄ったときの「木細工分教場」と比べると、小綺麗になっていたし、校舎の半分が無くなっていた。たまたまそこにおられた地元の方にお訊きしたところ、保存運動があって修理されたということらしい。
なお、その方から教わったのだが、何故かつて人首は賑わっ . . . 本文を読む
5月25日、2週間ぶりに胡四王山を訪ねた。
《1 階段の登り口の白い花は》(平成27年5月25日撮影)
《2 やはりあのシャスターデージー?》(平成27年5月25日撮影)
《3 ハルジオン》(平成27年5月25日撮影)
《4 アカツメクサを背に》(平成27年5月25日撮影)
《5 コウゾリナ》(平成27年5月25日撮影)
《6 マルバダケブキ》(平成27年5月25日撮影)
《7 》( . . . 本文を読む
この5月22日、種山の物見山に登ってみた。
その前に、まず「星座の森」の
《1 「風の又三郎の像」》(平成27年5月22日撮影)
《2 》(平成27年5月22日撮影)
ではここからは、物見山の報告である。
《3 登山口》(平成27年5月22日撮影)
《4 ドクウツギ》(平成27年5月22日撮影)
《5 モミジイチゴ》(平成27年5月22日撮影)
《6 ムラサキヤシオ》(平成27年5 . . . 本文を読む
この5月24日に訪れた下根子桜の報告である。
《1 》(平成27年5月24日撮影)
《2 前回(5月4日)正体のわからなかったのがこれ》(平成27年5月24日撮影)
《3 花が咲いていたが名はわからない、園芸種のようだ》(平成27年5月24日撮影)
《4 マムシグサ群》(平成27年5月24日撮影)
《5 》(平成27年5月24日撮影)
《6 裏碑》(平成27年5月24日撮影)
《7 . . . 本文を読む
5月22日に訪れた種山の「せせらぎの広場」では草刈が行われていた。クリンソウ以外の沢山の山野草が切り倒されていた。
《1 クリンソウ》(平成27年5月22日撮影)
《2 》(平成27年5月22日撮影)
《3 》(平成27年5月22日撮影)
《4 》(平成27年5月22日撮影)
《5 ニリンソウ》(平成27年5月22日撮影)
《6 ズダヤクシュ》(平成27年5月22日撮影)
《7 コン . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》昭和2年3月の賢治
では、昭和2年3月分について賢治の営為と詠んだ詩を『新校本年譜』から以下に抜き出してみよう。
三月四日(金) < 〔今日は一日あかるくにぎやかな雪降りです〕>
二月二七日付案内による「春ノ集リ」が開かれたと見られる。
湯口村堰田の高橋末治の日記によると「組内の人六人宮沢先生に行き地人会を始めたり 我等も会員と相成る」。
三月八(火 . . . 本文を読む
暫くぶりに哈川神社を再訪した。
《1 あれっ、鳥居がない》(平成27年5月22日撮影)
《2 石碑も倒れている》(平成27年5月22日撮影)
《3 》(平成27年5月22日撮影)
《4 》(平成27年5月22日撮影)
《5 》(平成27年5月22日撮影)
前回訪ねたのは平成22年6月8日だったが、その時と比べてみてかなりの荒様である。鳥居もなくなっているし、碑なども倒れたままだった。も . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》昭和2年2月の賢治
では今度は、『新校本年譜』の昭和2年2月分から賢治の営為と詠んだ詩を以下に抜き出してみよう。
二月一日(火) 2/1付け岩手日報夕刊に『農村文化の創造に努む』という記事掲載。
二月一〇日(木) 羅須地人協会講義「植物生理学要綱」下部。午前一〇時より午後三時まで。
二月一二日(土)
二月一八日(金) 「岩手日報記事」に2/1付けの記事を . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 この5月22日、奥州市水沢の後藤新平記念館を訪ねた。
そこで、館員の方にお訊ねした。伊藤七雄は後藤新平の次の代の永田秀次郎東京市長の秘書をやっていたという話があるのですが本当でしょうか、と。すると当館では当時の東京市長の秘書のリストを持っておりますと、ご親切に調べて下さって、
確かに伊藤七雄は永田東京市長の秘書をやっておりました。
と教えて貰えた . . . 本文を読む
豊沢ダムサイトにはかつて豊沢に住んでいた方々や平賀千代吉の顕彰碑があるということを、「なめとこやま登山」の帰途に教わった。立ち寄ってみると、その碑の中にはあの『なめとこ山の熊』に登場する淵沢小十郎の「モデル」となった
《1 松橋勝治の名もある》(平成27年5月20日撮影)
ということも教わった。
《2 平賀千代吉翁の碑》(平成27年5月20日撮影)
《3 コンロンソウ》(平成27年5月20 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》昭和2年1月の賢治
ではここで、『新校本年譜』から昭和2年1月分について賢治の営為と詠んだ詩を以下に抜き出してみよう。
一月五日(水) 伊藤熊蔵、竹蔵来訪、中野新佐久往訪
一月七日(金) 中館武左エ門、田中縫次郎、照井謹二郎、伊藤直美等来訪
一月一〇日(月) 〔講義案内〕による羅須地人協会講義が行われたと見られる。
一月二〇日(木) 羅須地人協会講義。参会 . . . 本文を読む
では、無事になめとこ山の頂上まで登ることができ、下山ができたので幕館橋からさっき登ったなめとこ山を眺めてみよう。
《1 》(平成27年5月20日撮影)
《2 》(平成27年5月20日撮影)
登っている間は天気がとても良かったが、今はなめとこ山も曇り気味、そして小雨も。
《3 ミズキ》(平成27年5月20日撮影)
《4 サワグルミ》(平成27年5月20日撮影)
《5 フジ》(平成27年5 . . . 本文を読む