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〈『「賢治精神」の実践【松田甚次郎の共働村塾】』(安藤玉治著、農文協)〉
今度は「自給肥料を増産し金肥を全廃」という項からである。それは、
文無しの小作人が百姓として起ち上がるにはまず土を肥やし、一歩でも自給自足の生活に近づけること以外に途はないとは、松田の初心から堅持した信念のようなものであった。
〈『「賢治精神」の実践【松田甚次郎の共働村塾】』50p〉と始まっていた。ここが、賢治と甚次郞の根本的な違いの一つであり、賢治の稲作法は金肥を用いたものであったから、貧しい小作人(文無しの小作人)にはもともとふさわしいものではなかった、ということが逆に示唆される。言い換えれば、甚次郞は賢治から「小作人たれ」と「訓へ」られはしたが、「賢治の稲作法」には沿っていなかったとも言える。甚次郞は、貧しい農民の実態を踏まえてそれに即した稲作法を採ったと言える。
では、甚次郞の「金肥全廃、自給肥料増産」の稲作法の実際は、具体的にはどんなものであったのだろうか。そのことについては、
まず新庄町の親戚、知人に願って〝一ヶ年、一戸にモチ米四升〟のお礼をすることで、下肥を汲みとらせてもらうことを約し、荷車や雪橇で年五、六回ずつ運んだ。
真夏炎熱の中で、荷車に肥樽三つをつんで一人で運ぶ。だくだくの汗。また厳寒の冬、積雪二メートルもあるところを、スコップで積雪を掘ってやっと肥壺を発見し、そこから樽に汲みあげ、五〇㌔もある肥樽をひきあげる。
〈同〉真夏炎熱の中で、荷車に肥樽三つをつんで一人で運ぶ。だくだくの汗。また厳寒の冬、積雪二メートルもあるところを、スコップで積雪を掘ってやっと肥壺を発見し、そこから樽に汲みあげ、五〇㌔もある肥樽をひきあげる。
と述べられていた。さぞかし下肥運びは大変だったであろうこと、とりわけ冬は大変だったであろうことは容易に想像が付く。というのは、私は平成23年2月26日に新庄を訪ねたことがあるのだが、その時のことを次のように以前投稿していて、
新庄に近付くにつれて車窓からの眺めに驚きが増していった、あまりの積雪の多さに。岩手の積雪も少なくはないが、新庄の雪の多さは桁違いだった。新庄駅に下り立ってみると3月間近だというのに積雪が私の背丈よりも高かったからだ。この時期でかくの如くであるなら、真冬とか昭和初頭の頃ならばここの積雪の多さは推して知るべしだ。それだけでも松田甚次郎の実践は凄かったに違いないと直感した。松田甚次郎は農閑期の冬、農民を啓蒙する講演のために猛吹雪の中を幾度も駆けずり回ったと『土に叫ぶ』でたしか語っていたはずだからである。雪の回廊の中、そんなことを思い出しながら『新庄ふるさと歴史センター』に向かった。
と述べていたからである。なんと、「新庄駅に下り立ってみると3月間近だというのに積雪が私の背丈よりも高かった」のだ。岩手も雪国だが、その時の新庄の積雪の多さは私の想像を遥かに超えていたからである。しかも、安藤玉治によれば、自給肥料の増産は下肥だけでは不充分であり、さらに次のようなことも為さねばならなかったのだそうだ。
汲みためた下肥は完熟させるため、手づくりのコンクリートの貯留槽にため、藁や落葉、川の芥を積み重ねて発酵させ、切り返しに当たっては、木炭や石灰を加える。…投稿者略…毎日橋下で胸つきのゴム長をはき、町の人々が汚物として川に投げ捨てた芥類をかき上げては雪橇で運び、蓄えていったのである。
〈同51p〉そして、このように苦労して作った自給肥料を使った結果はどうであったのだろうか。そのことについては、
これを六反歩の小作田に施肥した結果、全くの金肥なしで平年作よりも二俵の増収を得た。次の年は旱魃の被害があったが平年作にこぎつけ、さらに翌年には五俵の増収になっていった。
〈同〉と述べられていた。
よって、『「賢治精神」の実践【松田甚次郎の共働村塾】』によれば、甚次郞の「金肥全廃、自給肥料増産」の稲作法はなかなか優れたものであり、しかもそれは貧しい、小作人や自小作人にまさにふさわしいものであったということになる。
なお、甚次郞はこの他にも、鋸屑、焼酎粕なども自給肥料を作るために使ったと、同書は紹介していた。そしてこの項の最後を、
〝貧農なるが故に、自作小農なるが故に、工夫に工夫をこらす〟
松田の、あらゆる物を活用し工夫するという方法は、こうして定着していった。
〈同53p〉松田の、あらゆる物を活用し工夫するという方法は、こうして定着していった。
と締め括っていた。
すると思い出すのは、昭和2年3月8日に甚次郞が賢治から言われたという、つぎの「訓へ」だ。
農民として眞に生くるには、先づ小作人たることだ。小作人となって粗衣粗食、過勞と更に加はる社會的經濟的壓迫を体驗することが出來たら、必ず人間の眞面目が顯現される。
〈『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)4p〉だから、賢治がたしかにこのように言ったたとするならば、まさに、甚次郞が小作人になったことにより、賢治の言ったとおり「眞面目が顯現され」たと言えるかも知れない。となればなおさらに、賢治は「本統の百姓になる」と公言していたのだから、賢治自身が小作人にならなかったことが返す返すも私には悔やまれる。言い換えれば、この「本統の百姓になる」の「百姓」とは、私たちが普通に思い浮かべるそれではなく、賢治自身が思い描いていた独自の「百姓」であったということになりそうだ。
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