みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

千葉 増田政美

2020-08-15 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉

 では今回は次のような千葉県からのものである。
 千葉 増田 政美
   ○㈠
松田先生の逝去、泣いても泣いても残念でたまりません。私は臨終の御声に泣いて泣いて固く誓ひました。私は逝去の四日の日をあらゆる時に想起いたし、無畏、無畏、断じて進みます。
嗚呼三十五歳の偉大なる農民の生涯を終へ松田先生には永久に輝く御生活への第一歩を印したのである。

松田先生の逝去時が時なれば泣いても泣いてもなほ足りません。どうしてあんなに雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な元気な先生があんまり急に自分達弟子をのこして御他界なつたのでせう。先生を自分達から奪つた病がくやしくてなりません。まつたく先生の御病気ご重体を知り一時は信じられませんでした。早速臨終の前日先生を病床にお見舞ひ致すと、先生は何時も自分達弟子を迎える時の様に微笑を浮かべた瞳、血を吐く様だ、力のこもつた御聲で「あゝ君なればこそ来た」「君なればこそ来た」幾回もこみ上げる涙は拝顔すら出来ませんでした。「睦子(奥様)俺に會せると興奮すると思つてか)増田君顔を見せて呉れ」先生の病氣に障りはりはしまいかと遠慮して居た自分は先生の胸に泣いて泣いて、泣きながら回復をお祈り致した。なほ言葉を續け「後は後は力を合わせてやつて呉れ」先生の御聲固く固く誓つた四日午前九時遂に先生は自分達弟子を残し永遠の旅立ちを致した。もう野に立つ先生を拝見する事が出来ぬと思ふと残念で堪りません。此の日を自分は一生涯忘れる事が出来ないでせう自分はあらゆる時に此の日を想起、土に全精魂を打込み、鳳祥院円通共働居士となつた先生の霊を貧しい弟子としてなぐさめたいと思つて居ります。
             〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)22p~〉
 この追悼に従えば、増田は8月3日、わざわざ千葉県から山形の新庄までやって来て、臥していた甚次郎を見舞ったのだが、その翌朝甚次郎は亡くなったということになる。このことからだけでも、やはり甚次郎は「弟子」たちから如何に敬慕されていたかということを容易に知ることができる。のみならず、甚次郎は「弟子」たちを如何に愛し、信頼していたかということもだ。さすれば、その「弟子」たちは、甚次郎の遺志を継ごうとしていたであろうことも当然だ。ここが、違いなのかもしれぬ。

 それにしても、この臨終に立ち会えた増田は仕合わせだったに違いない。もちろん甚次郎もだ。

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