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『羅須地人協会の終焉-その真実-』目次(改訂版)

2024-02-28 10:00:00 | 目次
《創られた賢治から愛すべき賢治に》

 宮澤賢治は昭和3年8月10日、「風雨の中を徹宵東奔西走したために風邪をひき、実家に帰って病臥した」というのが定説のようだが、そうではなかったということを、昭和3年9月23日付賢治書簡中の「演習が終るころは」の「演習」が示唆してくれる。実は、「陸軍大演習」を前にして行われた凄まじい「アカ狩り」から逃れるために、賢治は重病であるということにして実家にて蟄居・謹慎していた、と。

『羅須地人協会の終焉-その真実-』目次
はじめに………………  1
「新校本年譜」の註釈………………  1
昭和3年8月10日の賢治………………  2
「かつての賢治年譜」の検証………………  3
   (1)心身の疲勞を癒す暇もなかったのか        3
   (2)気候不順に依る稲作の不良はあったのか     5
   (3)風雨の中を徹宵東奔西走したのか         6
   (4)遂に風邪、やがて肋膜炎に罹り、歸宅したのか  6
「逃避行」していた賢治………………  7
「演習」とは「陸軍大演習」のこと………………  8
八重樫賢師について………………  10
賢治の身の処し方………………  11
不自然な療養の仕方………………  13
論じてこられなかったことの意味………………  14
おわりに………………  15
参考図書………………  16

『羅須地人協会の終焉-その真実-』(一気読みタイプ)

『羅須地人協会の終焉-その真実-』(テキスト形式)

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