懐かしき南本内岳(平成16年6月12日、#1)の続きである。
《1 木道》(平成16年6月12日撮影)
《2 サンカヨウ》(平成16年6月12日撮影)
《3 エゾノリュウキンカ》(平成16年6月12日撮影)
《4 イワカガミ》(平成16年6月12日撮影)
《5 ミツガシワ》(平成16年6月12日撮影)
《6 ミツバオウレン》(平成16年6月12日撮影)
《7 チングルマ》(平成16年 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》やはり消されていた曜日欄の曜日
荒木 いやあ、とりたてて変なこともないと思うが?
鈴木 それも無理ないか、たしかに日記の写真が小さいからな。ならばこっちを見てくれ。これが、同日付の『盛岡タイムス』の場合の同日記の写真だ。私はそう言って今度は次のような大き目の写真を見せた。
【関徳弥の『昭和五年短歌日記』の10月5、6日の日記】
鈴木 . . . 本文を読む
WBの調整下手でしたが、本日の我が家の節分草である。
《1 》(平成26年1月30日撮影)
《2 》(平成26年1月30日撮影)
《3 》(平成26年1月30日撮影)
《4 》(平成26年1月30日撮影)
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1月29日、盛岡に所用があって出掛けた。道路は岩手県道13号盛岡和賀線を使った。途中いくつかの「経埋ムベキ山」を見ることが出来る。
《1 堂ヶ沢山》(平成26年1月29日撮影)
《2 〃 》(平成26年1月29日撮影)
《3 黒森山》(平成26年1月29日撮影)
《4 〃 (頂上の大杉2本の近くに(倒壊してしまった)神社がある)》(平成26年1月29日撮影)
《5 上平(ウワンダイラ)、 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》関徳弥の『昭和五年短歌日記』発見の報道
鈴木 ではいよいよここからは昭和5年に入ろう。この年に問題となるのは、関登久也(本名:徳弥)の『昭和五年 短歌日記』だ。
実は、平成15年7月29日付『岩手日報』の20面に次のような記事
【賢治に結婚話があった】
が載った。そしてこのような報道があった訳はと言えば、関徳弥の『昭和五年短歌日記』が発見されたからだ。
では . . . 本文を読む
今度は平成16年の南本内岳山行の際のものである。
《1 シラネアオイ》(平成16年6月12日撮影)
《2 〃 》(平成16年6月12日撮影)
《3 〃 》(平成16年6月12日撮影)
《4 カタクリ》(平成16年6月12日撮影)
《5 ハルゼミ》(平成16年6月12日撮影)
《6 ヤマツツジ》(平成16年6月12日撮影)
《7 ツバメオモト》(平成16年6月12日撮影)
《8 エゾ . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》伊藤ちゑのある懇願
鈴木 これがその伊藤ちゑの書簡だ。藤原嘉藤治に宛てた書簡で、何年のものかは判らないが、彼が在京して『宮澤賢治全集』(十字屋書店版)の編集委員をしていた頃のある年のものであろう10月29日付の書簡だが、その中に
宮澤さんが私にお宛て下すつたと御想像を遊ばしていらつしゃる御手紙も先日私の名を出さぬからとの御話しで御座居ましたから御承諾申し上げたや . . . 本文を読む
本日(1月28日)昼頃から花巻は小雪が舞い始めた。雪の中の下根子桜八景を見たくなったので訪れてみた。
《1 羅須地人協会入口》(平成26年1月28日撮影)
《2 河童沢》(平成26年1月28日撮影)
《3 西側から見た賢治詩碑》(平成26年1月28日撮影)
《4 》(平成26年1月28日撮影)
《5 賢治詩碑の裏側から》(平成26年1月28日撮影)
《6 裏碑》(平成26年1月28日撮 . . . 本文を読む
以前予告していた、懐かしいかつての南本内岳山行(平成15年6月15日)の際の花などの報告をする。
《1 南本内岳登山口》(平成15年6月15日撮影)
《2 ムラサキヤシオ》(平成15年6月15日撮影)
《3 〃 》(平成15年6月15日撮影)
《4 サラサソウダン》(平成15年6月15日撮影)
《5 サンカヨウ》(平成15年6月15日撮影)
《6 〃 》(平成15年6月15日撮影)
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《創られた賢治から愛すべき賢治に》******************************** <再掲> ******************************** おそらく昭和四年末のものとして組み入れられている高瀬露あて252a、252b、252cの三通および252aの下書とみられるもの十五点は、校本全集第十四巻で初めて活字化された。これは、高瀬の存命中その私的事情を慮って公表を憚ら . . . 本文を読む
我が家のもう一つの鉢植えの節分草いま花盛り。
《1 》(平成26年1月27日撮影)
《2 》(平成26年1月27日撮影)
《3 》(平成26年1月27日撮影)
《4 》(平成26年1月27日撮影)
《5 》(平成26年1月27日撮影)
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《創られた賢治から愛すべき賢治に》実は高瀬露が帰天するのを待っていた
荒木 それでは残すところは「昭和5年~昭和7年3月の間」の検証作業か。ではさしあたって次は昭和5年だな。
鈴木 ところが荒木、次の昭和5年が難題なんだよな。
荒木 えっ、そうなのか。ところでどうした吉田、さっきから何か言いたそうだな?
吉田 実はそうなんだ、言おうか言うまいか迷っているんだ。
荒木 ならばはっきり言えよ。お前らし . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》不可欠な“一連の「書簡下書」”そのものの検証
荒木 それにしても不思議なんだが、あくまでも俺から見ればだよ、どうして『校本宮澤賢治全集第十四巻』はあまりにも安易と思われるような仕方で「新発見」の「書簡下書」公表をしてしまったのだろうか。
吉田 そもそも、とりわけ「新発見」の〔252c〕はそのままでは露宛てかどうかも判らないような、それも所詮手紙のいわゆる反故だ。そ . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》“一連の「書簡下書」”に対する認識と判断
鈴木 まずは「新発見」ということによって「高瀬露あて」となってしまった〔252c〕、そして〔高瀬露あて〕と推定された他の“一連の「書簡下書」”について簡単に振り返ってみたい。
荒木 それは俺に任せろ。
え~とだな、昭和52年発行の『校本宮澤賢治全集第十四巻』は、
新発見の「書簡下書」がいくつかあり、その中の4通につ . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》〔252a〕についての疑問
鈴木 それもそうだな。それでは、“一連の「書簡下書」”は高瀬露宛てのものだという確証もあまりなさそうだが、そのあたりのことを今度は考えてみようか。
まずは〔252a〕ついてだ。
吉田 ちょっと待て。『校本宮澤賢治全集第十四巻』の考え方に従うならば、“〔252c〕が「内容的に高瀬あてであることが判然としているが」”と言い切ってそこから総 . . . 本文を読む