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《コマクサ》(2021年6月25日撮影、岩手)
*****************<(17)↓投稿者H氏/2013年10月 8日 18:47>**********************
はい、これが沢里武治による言い間違い(12月と言うつもりなのに11月と言ってしまった)ではなかった、と断定することは誰にもできませんし、私にもそれを100%否定する根拠はありません。
沢里であれ誰であれ、絶対に言い間違いをしない人はないからです。
しかしここでは、そういう蓋然性の議論ではなくて、鈴木さんがいつもおっしゃっているように、客観的な証拠に基づいて、論理的に考えてみましょう。
実は厳密に考えれば、現代の私たちにとっても、「賢治が大正15年12月2日に花巻から上京した」ということは、100%断定できることではないのです。
「賢治が大正15年12月12日に東京にいた」ことは、同日付の父親あて書簡222が残っていますから、ほぼ「疑いのない事実」と言ってよいでしょう。
しかし、「12月2日に上京した」という推定は、上の10月4日22:16の私のコメントで述べたように、父親あて書簡220に「神田 15・12・4 前8ー9」という消印があることから、これが神田局に回収されたのが12月4日朝←賢治が書いたのが12月3日夜←花巻を発ったのは12月2日、という風に、推理を積み重ねて導き出された事柄にすぎません。
もしも賢治が、他の上京の時のようにどこかで途中下車していたり、東京に着いた日には疲れて手紙を書けなかったり、書いていても投函が遅れたり、郵便の集配が遅れたり・・・とかしていたら、賢治が花巻を発った日は、実は11月30日だったり29日だったりしたのかもしれないのです。
私も、出発は12月2日だった可能性が最も高いとは思いますが、11月末だった可能性もまだ否定はできないと思っています。
そしてこの論理は、沢里から見ても同じくあてはまります。
沢里は、書簡222は証言中に引用していますから、この時点で見ていたのは確実です。だからこれを見て、賢治上京は昭和2年でなくて大正15年のことだったと、認識したのでしょう。
しかし、書簡222は「12月12日に東京にいた」ことを明らかにしているだけで、上京がいつだったかということに関しては、何の情報も含んでいません。それは12月だったかもしれないし、11月だったかもしれないのです。
また沢里が、この時点で書簡220を見ていたかどうかは、どちらとも言えません。
もし見ていなかったとすれば、上京の日付についてはやはりわかりません。
もし見ていたとすれば、その消印の日付に気づけば、上に述べたような推理によって、「12月2日の可能性が高い」と考えることはできたかもしれませんが、やはり彼も、11月末だった可能性を否定することはできません。
つまりどちらにしても、この時点で沢里は、客観的証拠に基づいた推論が示すかぎりでは、自分の見送った賢治の上京が、11月だったか12月だったか、どちらか断定することはできなかったのです。
上京を見送った「年」に関しては、書簡222という動かぬ証拠があるので、沢里は自分の記憶を昭和2年→大正15年と訂正せざるをえませんでした。
しかしその「月」に関しては、沢里の記憶では「どう考えても11月」であり、客観的証拠が示しているのもせいぜい「11月末から12月」という程度のことなのですから、沢里が自分の記憶を訂正する必然性はありません。
結局、沢里は、「月」に関しては、自分の記憶に不必要なを訂正を施さずに、素直に述べたということだったのではないでしょうか。
これが、「なぜ沢里は、証言において11月と言ったのか」という問題に対する、私の答えです。
そしてこう考えると、沢里が「11月」と言ったからといって、それ何も彼が「昭和2年」と考えていたと結論するための根拠には、ならないことになります。
ということで、今回もかなり長くなってしまいまして申しわけありませんが、前回の質問をもう一度あらためて・・・。
鈴木さんとしては、沢里の「この上京中の手紙は、大正十五年十二月十二日の日付になっておるものです」という証言を確認された上でも、やはり沢里はこの時まだ上京は昭和2年だと考え続けていた、とお考えなのでしょうか?
*****************<(18)↓投稿者鈴木守/2013年10月 9日 06:32>**********************
MSS 様
お早うございます。
さて、私は極めて憂慮しております。
MSS様は今回、
『はい、これが沢里武治による言い間違い(12月と言うつもりなのに11月と言ってしまった)ではなかった、と断定することは誰にもできませんし、私にもそれを100%否定する根拠はありません。…(略)…』
と仰っておりますが、このようなことを宮澤賢治研究家がブログ上で言ったのでは、「それを言っちゃあおしまいよ」と周りから言われることにはなりませんか、と。
なぜならば今回のMSS様様のコメントは、端的に言えば、
『澤里は12月と言うつもりなのに11月と言ってしまった』
と、証言者の澤里はここでも嘘を語ったと、賢治の最愛の愛弟子の一人が間違いを言ったと強く主張されたことになるからです。
こんなことを申し述べることは大変失礼なことかとは思いますが、冷静になって下さい。ムキになりすぎておりますよ。つきましては、早めに今回のコメントは削除し、澤里武治様や関係者に謝った方が良いのではありませんか。併せて私のこのコメントも削除していただいても結構です。
もし、削除されるお気持ちがないのであれば、その理由等を次回のコメントで述べさせていただきます。
*****************<(19)↓投稿者 ガハク氏/2013年10月 9日 14:03>**********************
ここまでのお二方の論争興味深く拝見して参りました。ご両者の熱い賢治愛には感銘を受けるばかりです。生半可な知識しかない通りすがりの者ではありますが僕も一賢治ファンとして年譜を見ながら賢治さんの行動を逐一辿る事で彼の生きた時間を共に過ごしたいという思いにかられる事はあります。僭越ながらひと言申し述べさせてください。
研究は科学ですから真理を1つとして論議する事は当然でしょうが二つの意見が対立して決着がつかず平行線を辿る様な場合、それはそのまま二つとして公開されたままにして置くという方法もまた科学的態度とは言えませんでしょうか。
当記事で鈴木さんのご本の紹介がありそして問題点の提示がそのまま執筆者ご本にとの議論そのものになってる訳ですからこのブログを訪れる方達の前にコメント毎1つの記事としてあるというのは最良のあり方だと思います。
思い違い記憶違い言い間違い聞き間違いなど誰にでもある事です。いやあの賢治さんだってきっといくらでも思い違いぐらいはしたと思いますよ。でも北ニケンクァヤソショウガアレバイッテツマラナイカラヤメロト言うと思いますよ。
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ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。
【新刊案内】
そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))
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であり、その目次は下掲のとおりである。
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