《白露草》(2022年8月19日撮影、花巻)
間違いはいずれ正されるべきもの、と私は思う。
さて、ここまで賢治の詩篇で昭和2年の日付のついている以下のもの、
・一〇五四 〔何と云はれても〕 五、三、
・一〇五八 〔銀のモナドのちらばる虚空〕 一九二七、五、九、
・一〇五八 電車 一九二七、五、九、
・一〇五八 〔銀のモナドのちらばる虚空〕 一九二七、五、 . . . 本文を読む
《白露草》(2022年8月19日撮影、花巻)
間違いはいずれ正されるべきもの、と私は思う。
かつての私は、「稲作挿話」(〔あすこの田はねえ〕)とか「野の師父」そして「和風は河谷いっぱいに吹く」等にはいたく感動したものだ。賢治と農民との交歓や賢治の稲作指導の凄さをひしひしと感じ取れたからだ。
ところがこれらの詩篇には、先に述べたように、自然現象の虚構や推敲の際に収穫高の操作等があったことなどを私 . . . 本文を読む
《『新編宮沢賢治詩集』(天沢退二郎編、新潮文庫)の表紙》
〝95年前の今日(昭和2年8月20日)の賢治〟の続きである。 私は入沢氏のご教示に感謝しながら、佐藤泰平氏の同論文を見てみた。そこには詳細なデータがあり、緻密な考察があった。そこで、前掲の【表1】に同論文中のデータを一部付け加えさせた頂くと、下表のようなものができる。
【表2】
ちなみに、同論文には花巻の降水量が載っていて、それが黄色、 . . . 本文を読む
《『新編宮沢賢治詩集』(天沢退二郎編、新潮文庫)の表紙》
宮澤賢治は昭和2年8月20日(土)、すなわち今から95年前の今日付けの詩「和風は河谷いっぱいに吹く」を詠んでいる。そしてそれは、
一〇二一 和風は河谷いっぱいに吹く
一九二七、八、二〇、
たうたう稲は起きた
まったくのいきもの
まったくの精巧な機械
稲がそろって起きて . . . 本文を読む
《『新編宮沢賢治詩集』(天沢退二郎編、新潮文庫)の表紙》
宮澤賢治は昭和2年8月16日(火)、すなわち今から95年前の今日付けの詩「ダリア品評会席上」を詠んでいる。そしてそれは、
一〇八六 ダリヤ品評会席上
一九二七、八、十六、
西暦一千九百二十七年に於る
当イーハトーボ地方の夏は
この世紀に入ってから曾って見ないほどの
恐ろ . . . 本文を読む
《『松田甚次郎日誌(1927年)』(「新庄ふるさと歴史センター」所蔵)の表紙》
宮澤賢治は昭和2年8月15日(月)、すなわち今から95年前の今日付けの詩「増水」を暫くぶりに詠んでいる。直近の日付の詩は昭和2年7月24日付けの〔ひとはすでに二千年から〕と〔午はつかれて塚にねむれば〕だから、22日ぶりに詠んだことになる。
しかも、この約20日間に賢治が農民たちのために稲作指導等をしたという客観的な . . . 本文を読む
《〔ひとはすでに二千年から〕の碑》(平成21年10月14日撮影、田日土井)
前回〝本日の下根子桜(7/24)15〟において、
といいますのは、2時間後に「みちのくの山野草」に投稿予定の〝95年前の今日(昭和2年7月24日)の賢治〟で述べるようなことを今感じているからです。と予告したこととは、以下のようなことである。
宮澤賢治は昭和2年7月24日(日)、即ち今から95年前の今日付けの、二篇の . . . 本文を読む
〈『新編宮沢賢治詩集』(天沢退二郎編、新潮文庫)〉
さて、昭和2年の夏に詠まれたであろう賢治の詩「和風は河谷いっぱいに吹く」はかなり高く評価されている。ちなみに、例えば中村稔は、
かれの「春と修羅」第一集から第四集にいたる作品の中で、もっともみごとな結実を示しているのは、「無声慟哭」の一連の挽歌であり、「和風は河谷いっぱいに吹く」を頂点とする作品群であろうと思われる。 . . . 本文を読む
《『宮澤賢治全集 四』(筑摩書房、昭和31年発行)46p》
さて、「和風は河谷いっぱいに吹く」は、賢治がこうあって欲しいという「願いや祈りを詠んだ詩」であるということになりそうだ。どうやら、賢治の肥料設計した田は激しい雷雨のために稲が皆倒れてしまった稲田となって賢治の目の前に拡がっていたというのが、この詩を詠んだことになる昭和2年8月20日の現実だったとならざるを得ないからだ。つまり、「和風は河 . . . 本文を読む
さて、前回最後に「うむ、これはおかしい。かなり問題点がありそうだ」と直感したのだが、調べてみたならばその通りだった。
「和風は河谷いっぱいに吹く」とその下書稿の第一形態であるという〔南からまた西南から〕とを比べてみると下掲のとおり。
よって、黄色い部分①、②、④については両者ともに全く同じ文言であるし、③については両者の意味は同じであることがわかる。だから常識的に考えれば、これだけ同じ事 . . . 本文を読む
さて、今から95年前の昨日(昭和2年7月14日(木))詠まれた賢治の詩〔南からまた西南から〕は、推敲・改稿がなされて「和風は河谷いっぱいに吹く」となり、それは次のようなものであった。
一〇二一 和風は河谷いっぱいに吹く 一九二七、八、二〇、
たうたう稲は起きた
まったくのいきもの
まったくの精巧な機械
稲がそろって起きてゐる
雨のあひだまってゐた穎は . . . 本文を読む
《「昭和2年の7、8月の花巻の天候」(『阿部晁の家政日誌』より)》
今から95年前の今日(昭和2年7月14日(木))賢治は「詩ノート」所収の詩〔南からまた西南から〕を詠んでいて、それは次のようなものである。
一〇八三 〔南からまた西南から〕 一九二七、七、一四
南からまた西南から
和風は河谷いっぱいに吹く
七日に亘る強い雨から
徒長に過ぎた稲を波立て
. . . 本文を読む
宮澤賢治は昭和2年6月13日(月)、即ち今から95年前の今日、次のような二篇の詩を詠んでいた。
一〇七六 囈語
一九二七、六、一三、
罪はいま疾にかはり
わたくしはたよりなく
河谷のそらにねむってゐる
せめてもせめても
この身熱に
今年の青い槍の葉よ活着け
この湿気から
雨ようまれて
ひでりのつ . . . 本文を読む
《1 》(2022年6月12日撮影)
《2 》(2022年6月12日撮影)
《3 》(2022年6月12日撮影)
《4 》(2022年6月12日撮影)
前回訪問時、私は、
今までも〔聖女のさまして近づけるもの〕や〔最も親しき友らにさへこれを秘して〕そして、〔うすく濁った浅葱の水が〕については賢治さんらしくないと思っていたのですが、今回〔芽をだしたために〕を知って、私はまたまた愕然とし . . . 本文を読む
《当時花巻電鉄鉛線を走っていた「馬面電車」》( 「花巻市民の家」敷地内に設置されている、2014年8月26日撮影)
先に私は、賢治が一日(昭和2年5月9日)に突然八篇もの詩を詠んでいたことに気づいた。しかも、賢治の詠んだ詩篇の数の急激な変化にはそれなりの意味がありそうだということをこれまでなんとなく感じていたので、今回もそれはなぜだったのだろうか、とついその「意味」が気になって少しく調べてみよ . . . 本文を読む