この6月27日秋田駒に行ってきた。エゾツツジは……
《1 蕾も多いが》(平成28年6月27日撮影)
《2 結構咲き出していた》(平成28年6月27日撮影)
《3 》(平成28年6月27日撮影)
《4 》(平成28年6月27日撮影)
《5 》(平成28年6月27日撮影)
《6 》(平成28年6月27日撮影)
《7 》(平成28年6月27日撮影)
《8 》(平成28年6月27日撮影)
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この6月27日秋田駒に行ってきた。ミヤマダイコンソウの花の最盛期は終わりかけていた。
《1 》(平成28年6月27日撮影)
《2 》(平成28年6月27日撮影)
《3 》(平成28年6月27日撮影)
《4 》(平成28年6月27日撮影)
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《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 それでは今度は、「羅須地人協会時代」の賢治が農繁期の稲作指導のために奔走したということと関連しそうな記述を『野の教師 宮沢賢治』》(森荘已池著、普通社)から探してみたい。
《『野の教師 宮沢賢治』》(森荘已池著、普通社、昭和35年11月)
・「或る対話(その三)」には、堀籠文之進が賢治に関して、
先生をやっていた学校時代も、宮沢さんは、農事講演会は、 . . . 本文を読む
この6月27日秋田駒に行ってきた。シラネアオイがまだ一部に咲いていた。
《1 》(平成28年6月27日撮影)
《2 》(平成28年6月27日撮影)
《3 》(平成28年6月27日撮影)
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《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
本書は『宮沢賢治イーハト . . . 本文を読む
この6月27日秋田駒に行ってきた。タカネスミレは最盛期は過ぎかけていたが、オオバキスミレやキバナノコマノツメも咲いていた。
《1 タカネスミレ》(平成28年6月27日撮影)
《2 》(平成28年6月27日撮影)
《3 》(平成28年6月27日撮影)
《4 》(平成28年6月27日撮影)
《5 オオバキスミレ》(平成28年6月27日撮影)
《6 〃 》(平成28年6月27日撮影)
《7 . . . 本文を読む
この6月27日秋田駒に行ってきた。コマクサが満開だった。
《1 》(平成28年6月27日撮影)
《2 》(平成28年6月27日撮影)
《3 》(平成28年6月27日撮影)
《4 》(平成28年6月27日撮影)
《6 不届きな輩がいたようで、ずかずかと歩いた足跡》(平成28年6月27日撮影)
《7 ここから下って行った足跡もある》(平成28年6月27日撮影)
《9 》(平成28年6月2 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 それでは、今度は、「羅須地人協会時代」の賢治が農繁期の稲作指導のために奔走したということと関連しそうな記述を『宮澤賢治物語』(関登久也著、岩手日報社)から探してみたい(ただし、既に他の著作で同様なことが述べられているものは基本的には除く)。
《『宮澤賢治物語』》(関登久也著、岩手日報社、昭和32年8月)
・「羅須地人協会時代」には、
田植の終わつた頃 . . . 本文を読む
この6月27日秋田駒に行ってきた。ミヤマウスユキソウ(ヒナウスユキソウ)の花が真っ盛りだった。
《1 》(平成28年6月27日撮影)
《2 》(平成28年6月27日撮影)
《3 》(平成28年6月27日撮影)
《4 》(平成28年6月27日撮影)
《5 》(平成28年6月27日撮影)
《6 》(平成28年6月27日撮影)
《7 》(平成28年6月27日撮影)
《8 》(平成28年6 . . . 本文を読む
この6月27日に訪れた秋田駒だが、一昨年のこの時期であれば全山一面のチングルマだったのに・・・・・今年は阿弥陀池周辺は既に完全に皆散っていた。やはり今年は極端に花が早いのか。そこで、せめて「馬場の小径(ムーミン谷)」なればと思って行ってみたならば、
《1 やはりもう遅いのか》(平成28年6月27日撮影)
《2 うむ、期待できるかな》(平成28年6月27日撮影)
《3 》(平成28年6月27日 . . . 本文を読む
6月24日、久々に訪れた飯豊森の残りである。
《1 イワガラミ》(平成28年6月24日撮影)
《2 ノブドウ》(平成28年6月24日撮影)
《3 ヤブカンゾウ》(平成28年6月24日撮影)
《4 アカソ》(平成28年6月24日撮影)
《5 ガンクビソウ》(平成28年6月24日撮影)
《6 オカトラノオ》(平成28年6月24日撮影)
《7 ヒヨドリバナ》(平成28年6月24日撮影)
. . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 それでは、「羅須地人協会時代」の賢治が農繁期の稲作指導のために東奔西走したということと関連しそうな記述を、千葉恭の著作から探してみたい。
《『四次元』(佐藤寛編、十字屋書店)》
・『四次元4号』(昭和25年1・2月)の「宮澤先生を追つて」には、
特にはなし。
・『四次元5号』(昭和25年3月)の「宮澤先生を追つて(二)」には、
特にはなし . . . 本文を読む
久々に「経埋ムベキ山」の一つ飯豊森を訪ねてみた。かつて、賢治も教え子の小原忠と一緒に登った山だという。
《1 飯豊森》(平成28年6月24日撮影)
《2 ヘラオオバコ》(平成28年6月24日撮影)
《3 入口の石碑》(平成28年6月24日撮影)
『千代かけて飯豊森の峯高く 里の守り神ぞまします』
《4 》(平成28年6月24日撮影)
《5 》(平成28年6月24日撮影)
《6 》 . . . 本文を読む
本日、6月27日秋田駒に行ってきた。取りあえず幾つかを速報。
《1 ミヤマウスユキソウは花盛り》(平成28年6月27日撮影)
《2 エゾツツジは咲き始め》(平成28年6月27日撮影)
《3 チングルマはほぼ終わりで、かろうじてムーミン谷にその名残》(平成28年6月27日撮影)
《4 コマクサは最盛期》(平成28年6月27日撮影)
《5 タカネスミレは最盛期は過ぎていた》(平成28年6月2 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 それでは今度は、「羅須地人協会時代」の賢治が農繁期の稲作指導のために奔走したということと関連しそうな記述を『雨ニモマケズ』(小田邦雄著、酪農学園出版部)から探してみたい。
《『『雨ニモマケズ』(小田邦雄著、酪農学園出版部、昭和25年7月)
・「六、農村生活」には、湯口村の実行組合長だった斎藤弥惣の追想として、
「斎藤さん、今年の稲の丈は去年よりどうで . . . 本文を読む
この6月24日に訪れた下根子桜八景の残りの報告である。
《1 オオバジャノヒゲ》(平成28年6月24日撮影)
《2 キツリフネ》(平成28年6月24日撮影)
《3 》(平成28年6月24日撮影)
《4 ドクダミ》(平成28年6月24日撮影)
《5 ヒヨドリバナ》(平成28年6月24日撮影)
《6 ヨウシュヤマゴボウ》(平成28年6月24日撮影)
《7 オオウバユリ》(平成28年6月2 . . . 本文を読む