昨日(3/29)、もしかするとこの辺りで一番先にそれが咲くのはもしかすると毘沙門山かもしれない、と言った手前偵察(3/30)に行ってきた。
《1 アズマイチゲ》(平成25年3月30日撮影)
《2 花盛り》(平成25年3月30日撮影)
《3 ここでズームアウトすると》(平成25年3月30日撮影)
《4 大分色づいたカタクリ》(平成25年3月30日撮影)
《5 をちこちに》(平成25年3月3 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛される賢治に》 さて、9月22日には快癒したと思われる賢治であり、「演習が終るころはまた根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります」と教え子に知らせた賢治だったから、「陸軍特別大演習」が終わった後に下根子桜へ戻った可能性があるが、そのあたりは結局はっきりさせられなかった。
そこで、「賢治昭和3年の病気」に関する記述のある著作等の幾つかを少し調べていきたい。
「八七 發病」より
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3月29日、江刺に所用があったので途中展勝地、そして国見に立ち寄ってみた。
先ず展勝地では、
《1 アズマイチゲ咲き出す》(平成25年3月29日撮影)
《2 》(平成25年3月29日撮影)
《3 》(平成25年3月29日撮影)
《4 》(平成25年3月29日撮影)
《5 》(平成25年3月29日撮影)
では次は国見の
《6 カタクリ》(平成25年3月29日撮影)
《7 》(平成 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛される賢治に》 さて今回は気になる
・一〇月三〇日(火) 佐藤二岳あてに葉書(244a)二岳作の俳句に対して、賢治が付句を試みたもの。についてである。
葉書(244a)
その葉書は次のようなものである。
【葉書(244a)】
この葉書の右下隅に見える「圭」だが、それは賢治の俳号だという。賢治には「風耿(ふうこう)」という俳号があることは知っ . . . 本文を読む
胡四王山にも本格的な春がやってまいりました。
《1 セリバオウレン》(平成25年3月28日撮影)
《2 》(平成25年3月28日撮影)
《3 》(平成25年3月28日撮影)
《4 》(平成25年3月28日撮影)
《5 》(平成25年3月28日撮影)
《6 》(平成25年3月28日撮影)
《7 》(平成25年3月28日撮影)
《8 カタクリの若葉》(平成25年3月28日撮影)
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《創られた賢治から愛される賢治に》 その後の「宮澤賢治年譜」を見てみると
・一〇月二四日(水) …菊池武雄あての中身なしの封筒の裏書きに「稗貫郡下根子」とあるので、このあたり一時協会へもどったようである。が、再び実家で臥床したことは高橋慶吾あて書簡(書簡245)で見られる。
・一〇月三〇日(火) 佐藤二岳あてに葉書(244a)二岳作の俳句に対して、賢治が付句を試みたもの。
・一二月二一日(金)〔推 . . . 本文を読む
《創られた賢治より愛される賢治に》 さて、昭和3年10月6日の花巻日居城野における御野立も済み、岩手県内で大々的に繰り広げられた陸軍特別大演習も10月10日に天皇は還行したので終わった。
「演習」の註釈について
となれば、9月22日には病も癒えて阿部晁からは見舞いも受けて直接まみえたと思われる賢治は、9月23日付澤里武治宛書簡「243」において
演習が終るころはまた根子へ戻って今度は主に書く方 . . . 本文を読む
さて、今年は雪割草が咲くのが遅いのか、それとも盗掘なのかとあれこれ考えながら歩いていると、今まで気づかなかった場所に雪割草が結構の数咲き誇っていた。
《1 》(平成25年3月27日撮影)
《2 》(平成25年3月27日撮影)
《3 》(平成25年3月27日撮影)
《4 》(平成25年3月27日撮影)
《5 》(平成25年3月27日撮影)
《6 》(平成25年3月27日撮影)
《7 》 . . . 本文を読む
本日(3/27)は天気もいいし、裏山にもそろそろ雪割草が咲く頃だと思って出かけてみた。
《1 セリバオウレン》(平成25年3月27日撮影)
《2 》(平成25年3月27日撮影)
《3 ツルアリドオシ》(平成25年3月27日撮影)
《4 ヤブコウジ》(平成25年3月27日撮影)
《5 マイヅルソウ》(平成25年3月27日撮影)
《6 この足跡はカモシカ?》(平成25年3月27日撮影)
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《創られた賢治より愛される賢治に》 さて、昭和3年10月6日に花巻日居城野で行われた演習も終わった。
そして、岩手県下にわたって繰り広げられた陸軍特別大演習も10月11日頃には全て終わった。
一方、賢治が澤里武治に宛てた9月23日付の手紙
お手紙ありがたく拝見しました。八月十日から丁度四十日の間熱と汗に苦しみましたが、やっと昨日起きて湯にも入り、すっかりすがすがしくなりました。六月中東京へ出て . . . 本文を読む
花巻市東和の田瀬ダムの近くにももうフクジュソウが咲き出している。
県道284号線は谷内峠を越えて下って田瀬ダム方向に向かっていたならば、道路右脇にフクジュソウが咲いていた。そこで車を駐めてを農道を登ってゆくとさらにそれらが広がっていた。
《1 》(平成25年3月24日撮影)
《2 》(平成25年3月24日撮影)
《3 》(平成25年3月24日撮影)
《4 》(平成25年3月24日撮影)
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《創られた賢治より愛される賢治に》 前に触れた『阿部晁 日記』に関連してだが、この阿部晁の息子には長男千一や末弟末吉なる人物がいる。二人とももちろん花巻の出身だが、ともに賢治の盛岡中学時代の先輩でもある。
阿部千一
『いわて人国記 33』によれば
千一は賢治より三級上で、賢治が盛中に入学して寄宿舎入りした時、その十二室の室長だった。後年十三歳の新入生賢治を回想して「自分からさきに立って、ラン . . . 本文を読む
《創られた賢治より愛される賢治に》
今までしばしば照井真臣乳という人物の名に遭遇してきたが、その名の読み方に迷っていた。
〝まみじ〟となっていたり〝まみち〟等となっていたり
だったからである。
それがこの度、花巻市の広報誌『広報 はなまき』の中の「歴史探訪」が〝照井真臣乳〟であり、次のような写真が載っていて
そこには
〝まみぢ〟
と振り仮名が振ってあったので、これからは
照井真 . . . 本文を読む
《創られた賢治より愛される賢治に》
東和町成島の毘沙門山(成島三熊神社・毘沙門堂のある山)はこのあたりでは春が早い。そろそろ咲き出しているのではなかろうかと思って出かけてみたならばやはり咲いていた
《1 アズマイチゲ》(平成25年3月24日撮影)
《2 》(平成25年3月24日撮影)
《3 》(平成25年3月24日撮影)
《4 》(平成25年3月24日撮影)
《5 》(平成25年3月24 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛される賢治に》
この度、いわゆる『阿部晁の家政日誌』を借覧させていただき、お陰様で賢治が下根子桜に住まっていた時代(大正15年4月1日~昭和3年8月10日)、いわば「羅須地人協会時代」の花巻の全天候をほぼ知ることができた。阿部家の方々と仲介してくださった阿部さんには深く感謝し厚く御礼申し上げます。
なお阿部晁のお家は花巻の石神にあり、あの鼬幣神社のすぐ近く、かつて花巻農学校 . . . 本文を読む