みちのくの山野草

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「満蒙開拓青少年義勇軍編成に関する建白書」

2021-01-16 20:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『農本主義と天皇制』(綱澤 満昭著、イザラ書房)〉

 さて、日本国民高等学校には「学校教育のもつ知育偏重、つめこみ主義、受動的学習」を是正しようとした真っ当な教育方針、長所もあったのだが、そこでの加藤完治の農民教育観は現実に即したものではなかったという致命的な弱点があったようだ。そこで加藤はどうしたかというと、満蒙移民は農民教育の延長であるという飛躍した発想を基にして、満蒙開拓青少年義勇軍を創設した、ということになりそうだ。
 ちなみに、綱澤氏によれば、
 昭和七年の春、すでに加藤は、関東軍から奉天北大営の張学良の兵営跡を借りて、日本国民高等学校の分校をつくり、満蒙移民の中堅人物の養成ならびに、満州における営農の実験をはじめた。昭和十二年には国民高等学校を茨城県茨城郡中妻村内原に移し、翌十三年には満蒙開拓青年義勇隊訓練所を開設した。
             〈『農本主義と天皇制』(綱澤 満昭著、イザラ書房)126p〉
という。しかし、いみじくも綱澤氏が「くるしまぎれの発想がここから生まれ」と言っていたように、そのせいであろう、次のような心境の変化が加藤の中で起こったという。 
 しかし開拓事業というものが、それほど単純なものでないことを体験的に知るようになった農民の顔からは、国家によって付与された「皇国農民」などという厚化粧は、次第におとされていった。現実的利益のみに固執していく大人の開拓移民にあきたらなさを感じつつあった加藤は、漸次青少年義勇軍へ己れの願いをこめていく。世間ずれしていない純粋無垢な少年は、加藤の理想をかなえてくれる最後の「宝」であった。
             〈同127p~〉
 そこで私がまず、また不安になったのは、この「世間ずれしていない純粋無垢な少年」という一言である。それは、「羅須地人協会」の会員の殆どは賢治より一周り以上年下の少年たちだったから、いわば「世間ずれしていない純粋無垢な少年」たちだったと言えるからだ。もちろん賢治自身はそのようなあざとさはなかったとは思うのだが、このことに関しては私はどうも完全には不安を未だ払拭できずにいる。
 話が逸れてしまった、元に戻そう。そして、
 昭和十二年十一月三日…投稿者略…「満蒙開拓青少年義勇軍編成に関する建白書」が提出された。この「建白書」にみられる義勇軍の目的は、日満をつらぬく雄大な皇国精神を錬磨し、これをもって他日堅実な農村建設の指導精神たらしめ、あわせて満州農業経営に必要な知識技能を修練することと、将来の植民地を確保し、あるいは交通線を確保し、一朝有事の際には、現地後方兵站の万全に資することであった。
 昭和十三年度内に三万人の青少年を満蒙に送ることが決定された。
             〈同128p〉
のだという。
 すると気付くことは、「日本国民高等学校設立趣意書」の場合には「更に次三男の青年を満鮮の曠野に耕作できる拓殖訓練を授け」というようなことは顕わには謳われていなかったのだが、この「建白書」の場合にはほぼそれが顕わになってきていたことだ。

 そこで私は壁にぶつかる。そもそも、最上共働村塾の「開塾の趣意」は昭和7年8月に掲げられたものだから、その時点で既に「更に次三男の青年を満鮮の曠野に耕作できる拓殖訓練を授け」を甚次郎は謳っていたことになるし、一方で、「日本国民高等学校設立趣意書」でもこのようなことを謳っていたということを私は見つけられずにいるからだ。
 ところが、昭和12年11月に提出されたこの「満蒙開拓青少年義勇軍編成に関する建白書」では似たようなことを謳っていた。ということは、私が見つけられなかっただけであり、「日本国民高等学校設立趣意書」の場合も「更に次三男の青年を満鮮の曠野に耕作できる拓殖訓練を授け」を謳っていて、甚次郎が昭和3年に日本国民高等学校入学していた際にそれを習っていたということになるのだろうか。
 もしこの解釈に従うと、
 「開塾の趣意」で松田は「更に次三男の青年を満鮮の曠野に耕作できる拓殖訓練を授け」と加藤の言葉そのままのようなことも述べたが
という論理は成り立たないわけではない。さて真相はどうだったのだろうか……。

 これは今後の課題として留保しておき、次に移ろう。

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            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
            ☎ 0198-24-9813
 なお、目次は次の通りです。

 そして、後書きである「おわりに」は下掲の通りです。




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