みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

『宮澤賢治追悼』との比較

2020-10-03 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『宮澤賢治追悼』(草野心平編、次郎社、昭和9年1月(ただしこれは「図書刊行会」の復刻版))〉

 先の〝岩手 藤沢美雄〟において、私は『宮澤賢治追悼』について、
 松田甚次郎に寄せられたここまでの「追悼」を振り返ってみると、それを寄せた人の多くは農業に携わっている人たちだということに気づく。それに対して甚次郎の師である賢治の追悼集、『宮澤賢治追悼』の目次

を見てみると、追悼を寄せた人物の中にそのような人は菊池信一しか見つからない。なお、著名人も目立つが、その多くは生前賢治とそれほど懇意ではなかったはずだ。
 端的に言えば、賢治と甚次郎の「追悼集」の目次を見比べてみるだけでも、当時どれだけ農民達のためにそれぞれが貢献していたかということが容易に推断できる。そして、二人の間にはかなりの違いがあったのだという事もだ。
と述べたのだが、この追悼集について米村みゆきが『宮沢賢治を創った男たち』(青弓社)において詳細に分析していることを知ったので、そこから学ばせてもらう。

 米村は同書で、「文圃堂版第三巻「童話」篇」の広告についてこんなことを述べていた。
 全集の広告には、編集者として、高村光太郎、宮沢清六、草野心平、横光利一の名が並ぶ。実弟である宮沢清六を除けば、当時の文壇の有力者ばかりだ。
この広告は、賢治の死後一年を経た時期のものだが…投稿者略…谷川徹三は賢治についてはほとんどしらなかったようなのだ。全集の編集者として名を連ねた横光利一さえ「読売新聞 紙上で「賢治といふ詩人については、私は生前一面識もなく、また何人たるかも知らなかった」と言っているのだから。
 全集が出版されたとき、賢治や賢治の作品を熟知する者はほとんどいなかった。
             〈『宮沢賢治を創った男たち』(米村みゆき著、青弓社)198p〉
 では、『宮沢賢治追悼号』や「宮沢賢治研究」などの賢治の追悼集・研究誌においてはどうだったのかというと米村は、
 これらの書物は、賢治の追悼集・研究雑誌と謳われていながら、いずれも内実は、執筆者は故人についてよく知らないままで書いていた。さらにほとんどの執筆者はその文章の中で草野心平に紹介されたと明かす。
             〈同199p〉
と言い、さらに、
 本来は死者の知己である者たちがその死を悼み悲しんで筆をとるべき追悼集で、不知の者たちに死者を紹介し執筆させているのはどうだろうか。
             〈同200p〉
と疑問を呈していた。
 たしかに、この米村の評は当たっているな、と私は肯った。「著名人も目立つが、その多くは生前賢治とそれほど懇意ではなかったはずだ」ということがこれで裏付けられたと言えそうだから。
 これまで何度かこの『宮澤賢治追悼』を読み返したきたが、『追悼 義農松田甚次郎先生』の追悼を読んで心が打たれたような感動は、ほとんど感じられなかったのはある意味当然だったのだ。同時に、甚次郎は多くの農村青年らから敬慕されていたことがなおさら浮き彫りにされてしまった。

 続きへ
前へ 
 “「松田甚次郎の再評価」の目次”へ。
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

《出版案内》
 この度、『宮沢賢治と高瀬露―露は〈聖女〉だった―』(「露草協会」、ツーワンライフ出版、価格(本体価格1,000円+税))

を出版しました。
 本書の購入を希望なさる方は、葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として当該金額分の切手を送って下さい(送料は無料)。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
 なお、岩手県内の書店における店頭販売は10月10日頃から、アマゾンでの取り扱いは10月末頃からとなります。
            
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 下根子桜(9/30) | トップ | 栗駒紅葉速報(10/2) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

甚次郎と賢治」カテゴリの最新記事