みちのくの山野草

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昭和8年8月30日付伊藤与蔵宛書簡

2020-11-04 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『近代山形の民衆と文学』(大滝十二太郎著、未来社)〉

  さて前回の最後に
 もう一つ大事なことがある。…投稿者略…ただしこのことに関しては次回へ。
と私は述べたのだが、今回はこのことについてである。
 つまり、大滝氏の、
 確かに甚次郎は、晩年になればなるほど、戦争にのめり込んでいく国策に沿いながら村を救うことを夢みた。とすれば、ひとたびその国策が破産すれば、彼のドラマの世界も同時に破産するということになる。これは、ひとり甚次郎だけが遭遇した問題ではない。
             〈『近代山形の民衆と文学』339p〉
という断定、とりわけ、「ひとり甚次郎だけが遭遇した問題ではない」という断定はまさにそのとおりだと私は肯んずるのだが、このことに関わって少しく述べたい。
 そのために、昭和8年8月30日付伊藤与蔵宛の宮澤賢治書簡を以下に引く。
 満州派遣歩兵第三一聯隊第五中隊 伊藤輿藏様

軍務ご多端の中からご叮重なお手紙を下さいまして厚くお礼申しあげます。
何よりまづ激しいご勤務炎熱の気候にも係らず愈々御健勝で邦家の為にご精励の段至心に祝しあげます。
いろいろそちらの模様に就ては、弟への度々のお手紙また日報等に於る通信記事、殊に東京発刊の諸雑誌が載せた第二師団幹部とか、従軍記者達とかの座談会記録に仍て読んで居りますが、実に病弱私のごときただ身顧ひ声を呑んで出征の各位に済まないと思ふばかりです。
然しながら亦万里長城に日章旗が翻へるとか、北京(昔の)を南方指呼の間に望んで全軍傲らず水のやうに静まり返ってゐるといふやうなことは、私共が全くの子供のときから、何べんもどこかで見た絵であるやうにも思ひ、あらゆる辛酸に尚よく耐えてその中に参加してゐられる方々が何とも羨しく(と申しては僭越ですがまあそんなやうに)感ずることもあるのです。
殊に江刺郡の平野宗といふ人とか、あなたとか、知ってゐる人たちも今現にその中に居られるといふやうなこと、既に熱河錦州の民が皇化を讃へて生活の堵に安じてゐるといふやうなこと、いろいろこの三年の間の世界の転変を不思議なやうにさへ思ひます。
当地方稲作は最早全く安全圏内に入りました。初め五月六月には雨量不足を憂ひ、六月も25日になってやっと植付の始まった地区さへあり、また七月の半には、湿潤のため各所に稲熱病発生の徴候も見えたりしたのでしたが、結局は全期間を通じての数年にない高温によって成育は非常に順調に進み、出穂も数日早く穂も例年より著しく大きく、今の処県下全般としては作況稍良と称せられてゐますが、西の方の湿田地帯などは仲々三割の増収でも利かないやうに思はれます。
私もお蔭で昨秋からは余程よく、尤も只今でも時々喀血もあり殊に咳が初まれば全身のたうつやうになって二時間半ぐらゐ続いたりしますが、その他の時は、弱く意気地ないながらも、どうやらあたり前らしく書きものをしたり石灰工場の事務をやったりして居ります。しかしもう只今ではどこへ顔を出す訳にもいかず殆んど社会からは葬られた形です、それでも何でも生きてる間に昔の立願を一応段落つけやうと毎日やっきとなってゐる所で我ながら浅間しい姿です。
十月は御凱旋の趣、新聞紙上にも発表ありましたが、そちらとしてもだんだん秋でもありませうし、どうかいろいろ心身ご堅固に祖国の神々の護りを受けられ、世界戦史にもなかったといはれる此の度の激しい御奉公を完成せられるやう祈りあげます。まづはお礼まで申しあげます
             〈『新校本 宮澤賢治全集〈第15巻 〉書簡 本文篇』(筑摩書房)455p~〉
 そこで私はこの中に、
・然しながら亦万里長城に日章旗が翻へるとか、北京(昔の)を南方指呼の間に望んで全軍傲らず水のやうに静まり返ってゐるといふやうなことは、私共が全くの子供のときから、何べんもどこかで見た絵であるやうにも思ひ、あらゆる辛酸に尚よく耐えてその中に参加してゐられる方々が何とも羨しく(と申しては僭越ですがまあそんなやうに)感ずることもあるのです。
・既に熱河錦州の民が皇化を讃へて生活の堵に安じてゐるといふやうなこと、いろいろこの三年の間の世界の転変を不思議なやうにさへ思ひます。
・どうかいろいろ心身ご堅固に祖国の神々の護りを受けられ、世界戦史にもなかったといはれる此の度の激しい御奉公を完成せられるやう祈りあげます。
ということなどがしたためられていたということを知った。もちろん、賢治の本音がこの記述通りだったのか、それとも建前上こう述べていたのかは私には判らぬが、この賢治書簡中の、とりわけ「あらゆる辛酸に尚よく耐えてその中に参加してゐられる方々が何とも羨しく」とか「熱河錦州の民が皇化を讃へて生活の堵に安じてゐる」はたまた「祖国の神々の護りを受けられ……此の度の激しい御奉公」という表現をしていたことを知ってしまうと、やはり「ひとり甚次郎だけが遭遇した問題ではない」と思ってしまう。
 というのは、昭和6年に関東軍は柳条湖で満州鉄道を爆破し、それを張学良軍の仕業によるものだということを口実にして満州を侵略、その侵略戦争(満州事変)によって日本は満州全土を占領して満州国を建設したわけだが、この賢治書簡はそのような満州に於ける日本軍の身勝手な行動を称えこそすれ、眉を顰めていたわけではないということを示唆してくれるからだ。しかも、満州事変の首謀者の一人が国柱会会員のあの石原莞爾であることから、満州国は法華経に基づく理想郷であったとも言われている(『イーハトーブと満州国』(宮下隆二著、PHP研究所)55p~の「第二章 理想郷としての満州国 石原莞爾」より)ので、同じく国柱会会員でもあった賢治だからなおさらに、そのことを示唆してくれる。
 さらに、賢治がそう望んだか否かは私にはわからないが、少なくとも「雨ニモマケズ」が戦意昂揚に利用されたことは否めないから、やはり、「ひとり甚次郎だけが遭遇した問題ではない」という大滝氏の断定に私はますます納得させられる。
 そしてもちろん、それは甚次郞や賢治だけが遭遇したわけではなく、数多の人びとがいたということを、例えば小林節夫の『農への銀河鉄道』(本の泉社)の233p~の「⑵ 戦争に協力した文学者・芸術家と日本文学報国会・大日本言論報告会」が教えてくれる。

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