みちのくの山野草

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京都 平山常太郎

2020-08-13 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉

 では今回は京都からのものであり、平山常太郎 が寄せた次のような追悼が載っていた。
   京都 平山常太郎
余は松田君の郷土の隣地の出生である。従て君の郷土鳥越村は余の尤も親しみを感ずる地。松田君が郷土に帰りて「土に叫ぶ」を上るや、余は満腔の仝情と共鳴を捧げその將来益々進展し大成せんことを切に念願したのである。然るに君は前途有為の資を抱き半に逝かる痛惜禁ざる能はざる次第今や神民塾諸君により松田君の農魂が萌発せらるるの報に接し感□に打たれざるを得ず実に松田君の叫びも御蔭で永年の光を放つべく松田君を以て冥すべきであらう、松田君を悼むと共に神民塾諸君に満腔の謝意を表するものである。
             〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)25p〉

 ところで、この平山の追悼からは、甚次郎が京都へ講演に行ったかどうかは判らないが、『土に叫ぶ』によれば、京都へは二回講演に行っていたことを知ることができる。最初は、昭和八年の八月(農村劇場運動や、自力更生の實踐談、生活改善、並に廢物活用の創作談を二日間に亙って話した(同書332p))で、二度目は昭和九年の十二月(詳細は、同書332p~参照)であったという。
 なお、以前から疑問に思っていたことの一つなのだが、この『追悼 義農松田甚次郎先生』の表紙には、
    岩手・神民塾 刊
とあるが、この「神民塾」って一体何ものなのだろうかということである。ところが、この平山の追悼の中に「神民塾諸君」という記述が二度も登場しているから、当時全国的に開塾されていた塾の一つなのであろうということが示唆される。そして、松田甚次郎とこの塾との間にはある程度の繋がりがあったということも、である。

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