《早池峰薄雪草》 危うい「昭和六年七月七日の日記」の信憑性
「昭和六年七月七日の日記」
さて、なぜ高瀬露が〈悪女〉にされたのかその定かな理由は今のところ私にはわからないが、これまでに私が調べた限りにおいては、「昭和六年七月七日の日記」における露に関する記述がほぼそうさせてしまったということが否めないということと、肝心のその「昭和六年七月七日の日記」の記述内容には危ういものがあるということを知 . . . 本文を読む
《早池峰薄雪草》 検証もせず裏付けもないままに
上田哲の指摘
さてここまで「昭和六年七月七日の日記」の中の露に関するMの記述内容の検証をしてきた結果、そこにはかなり信憑性が危ういものがあるということを私は知った。
このことに関連して上田哲は論文“「宮沢賢治伝」の再検証(二)―<悪女>にされた高瀬露―”において次のように、
露の〈悪女〉ぶりについては、戦前から多くの人々に興味的 . . . 本文を読む
《早池峰薄雪草》 「遠いところから一日に三回も」は無理
新たな疑問
というわけで、どうやら「昭和六年七月七日の日記」中の高瀬露に関するMの記述にはかなり信憑性が危うい点がありそうだということを覚った。そうなるとすぐ湧いてくるのが次の新たな疑問だ。Mはその中で、
彼女の思慕と恋情とは焔のように燃えつのつて、そのため彼女はつい朝早く賢治がまだ起床しない時間に訪ねてきたり、一日に二回も三回も遠い . . . 本文を読む
《早池峰薄雪草》 寶閑小学校時代の露は下宿していた
露は自炊しながら下宿していた
さて、露が寶閑小学校勤務時代に下宿していたという「西野中の高橋重太郎」宅だがそれは現「鍋倉ふれあい交流センター」のすぐ近くにあった。そしてその隣家のおばあちゃん高橋カヨさんからは、
寶閑小学校は街から遠いので先生方は皆その「西野中の高橋重太郎さん」のお家に下宿していました。ただしその下宿では賄いがつかなかった . . . 本文を読む
《早池峰薄雪草》 寶閑小学校時代の露の教え子に会う
さて、遠野時代の高瀬(小笠原)露の評判は頗る良くて、「悪女」どころかその逆の「聖女」の如き女性であったようだ。では花巻に住んでいた頃の露はどうだったのだろうか。まずは、露が花巻で小学校の先生をしていた期間は大正12年10月~昭和7年3月の8年半であり、勤務校は寶閑小学校だけであるから、寶閑小学校勤務時代のことを少し調べてみよう。
高瀬露の教 . . . 本文を読む
《早池峰薄雪草》 遠野時代の露の評判
上田哲によれば
遠野時代の露に関しては、上田哲がかなりの検証をした上で『七尾論叢 第11号』に論文「「宮澤賢治伝」の再検証(二)―<悪女>にされた高瀬露―」を載せている。
同論文によれば、遠野の歌人で尾上紫舟賞受賞者菊池映一氏からは、
露さんは…病人、老人、悩みをもつものを訪問し力づけ、扶けることがキリスト者の使命と思っていたのである。彼 . . . 本文を読む
《早池峰薄雪草》
下根子桜を訪れる露に賢治は感謝
佐藤隆房によれば
では、当時賢治の許に出入りしていた高瀬露は周りからどのように受けとめられていたのだろうか。
佐藤隆房はそのあたりのことを次のように述べていた。
櫻の地人協會の、會員といふ程ではないが準會員といふ所位に、内田康子さんといふ、たゞ一人の女性がありました。
…(中略)…
來れば、どこの女性でもするやうに、その邊 . . . 本文を読む
《早池峰薄雪草》 宮澤清六の証言より
ロシア人のパン屋さんが来た頃
森荘已池著『宮沢賢治の肖像』の中に「宮沢清六さんから聞いたこと」という節があり、次のようなエピソードがそこで紹介されている。
白系ロシア人のパン屋が、花巻にきたことがあります。…(略)…兄の所へいっしょにゆきました。兄はそのとき、二階にいました。二階の窓から顔を出した兄へ、「おもしろいお客さんを連れてきた」といいましたら . . . 本文を読む
《早池峰薄雪草》
『鈴木守からの遺言』の目次
Ⅰ露が〈悪女〉の濡れ衣を着せられた訳
はじめに
人権意識が希薄な世界という不安
〔聖女のさまして近づけるもの〕
あの「向ふの坂の下り口」に高瀬露の家
果たしてそれは高瀬露なのか
寄り道
『「猫の事務所」調査室』の管理人さんは今
第1章 高瀬露に関して新たにわかったことなど
宮澤清六の証言より
下根子桜を訪れる . . . 本文を読む
《早池峰薄雪草》
かなり以前のことだが、以下のような投稿〝『「猫の事務所」調査室』の管理人さんに感謝〟をしたことがある。
**********************『「猫の事務所」調査室』の管理人さんに感謝(2018-11-29 10:00:00)********************* 先日、拙ブログの「リアルタイムアクセス解析」をたまたま見たならば、アクセス元ページのリストの中に見慣 . . . 本文を読む
《早池峰薄雪草》
果たしてそれは高瀬露なのか
あの、宮澤賢治伝記の研究家として評価の高い境忠一が次のように、
…昭和六年九月東京で発熱した折の「手帳」に、「十月廿四日」として、クリスチャンであった彼女にきびしい批評を下している。
聖女のさましてちかづけるもの
たくらみすべてならずとて
いまわが像に釘うつとも
乞ひて弟子の礼とれる
いま名の故 . . . 本文を読む
《早池峰薄雪草》
あの「向ふの坂の下り口」に高瀬露の家
向ふの坂の下り口
宮澤賢治が下根子桜に移り住んでから約一年後の4月21日付のあの詩〔同心町の夜あけがた〕の中に
向ふの坂の下り口で
犬が三疋じゃれてゐる
子供が一人ぽろっと出る
あすこまで行けば
あのこどもが
わたくしのヒアシンスの花を
呉れ呉れといって叫 . . . 本文を読む
《早池峰薄雪草》〔聖女のさましてちかづけるもの〕
果たしてそれは高瀬露なのか
宮澤賢治伝記の研究者として評価の高いあの境忠一が次のように、
…昭和六年九月東京で発熱した折の「手帳」に、「十月廿四日」として、クリスチャンであった彼女にきびしい批評を下している。
聖女のさましてちかづけるもの
たくらみすべてならずとて
いまわが像に釘うつとも
乞ひて弟子の礼 . . . 本文を読む
《早池峰薄雪草》
理不尽にも〈悪女〉の濡れ衣着せられた高瀬露の濡れ衣を晴らさんと、私はここまで取り組んできたが、残念ながら現時点ではまだそれは殆ど達成出来ていない。
一方で、「賢治学界」はこのことを等閑視している。
そして、私も老い先が見えて来た。
しかし、これは人権問題だからとりわけこのままでいいわけがない。
そこで、高瀬露が〈悪女〉の濡れ衣を着せられた訳を、今まではあまり言えなか . . . 本文を読む
システムが不調のため新たな写真を用いた従前のような投稿は出来ませんが、今後このような投稿をしてまいりますので、どうぞご覧下さい。
《羅須地人協会跡地》(2011年1月11日撮影)
おわりに
さて、ここまで『羅須地人協会時代の賢治』のことを調べて来たいま、賢治の昭和3年を振り返って特に思うことは何かといえば、次の2点である。
一点目は、6月の「伊豆大島行」を含む上 . . . 本文を読む