《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 以前相馬正一に関して少し投稿したことがあったが、それに関わってホンの些細なことを報告。
上の本は私が持っている新潮社の『日本詩人全集20 宮沢賢治』(ある古書店から購入したもの)である。
その、見返しには
という蔵書印あり。あれっ、あれと全く同じだ。そう、相馬正一ものだった。
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《鈴木 守著作 . . . 本文を読む
裏山は春まだ遠し。
《1 やっと咲いたばっけ》(平成28年2月28日撮影)
《2 雪割草はまだ蕾》(平成28年2月28日撮影)
《3 》(平成28年2月28日撮影)
《4 》(平成28年2月28日撮影)
《5 セリバオウレンは蕾さえも見えず》(平成28年2月28日撮影)
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《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナ . . . 本文を読む
部屋の中の三角草満開。
《1 》(平成28年2月28日撮影)
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《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
あるいは、次の方法でもご購入いただけます。
まず、葉書か電話にて下記にその旨をご連絡して . . . 本文を読む
今朝花巻は一面真白であった。
《1 蝋梅》(平成28年2月28日撮影)
《2 》(平成28年2月28日撮影)
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◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
あるいは、次の方法でもご購入いただけます。 . . . 本文を読む
台温泉のフクジュソウも咲いた。
《1 》(平成28年2月28日撮影)
《2 》(平成28年2月28日撮影)
《3 》(平成28年2月28日撮影)
《4 》(平成28年2月28日撮影)
《5 》(平成28年2月28日撮影)
《6 》(平成28年2月28日撮影)
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◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 かつての私は、「羅須地人協会時代」の賢治は「己に対してはストイックで、貧しい農民のために献身した」とばかり思い込んでいたのだが、ここまで実証的に調べてみた限り、客観的には同時代に貧しい農民たちのために如何ほどのことを為し、如何様に献身したかというとそれらはかつての私が抱いていた賢治像からは程遠いものであった。なぜならば、そのよう賢治の具体的な実践が殆ど見出 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》
この2月24日、遠野の上郷に行ってきた。
遠野盆地に入れば直ぐ目立つのが、やはり六角牛(ろっこうし)山、しかも端正である。なお、この盆地から早池峰山を眺めることはなかなか難しい。
《1 綾織からの六角牛山》(平成28年2月24日撮影)
《2 風の丘からの六角牛山》(平成28年2月24日撮影)
《3 青笹からの六角牛山》(平成28年2月24日撮影)
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室内に置いていた鉢の中には今ミスミソウが咲いている。
《1 》(平成28年2月24日撮影)
《2 》(平成28年2月24日撮影)
《3 》(平成28年2月24日撮影)
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◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
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遠野宮守の今の様子。
《1 》(平成28年2月24日撮影)
《2 》(平成28年2月24日撮影)
《3 》(平成28年2月24日撮影)
【参照(平成19年3月4日撮影)】
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◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
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東和町成島の今の様子。
《1 》(平成28年2月24日撮影)
《2 》(平成28年2月24日撮影)
《3 》(平成28年2月24日撮影)
《4 》(平成28年2月24日撮影)
【参照(平成27年3月6日撮影の場合)】
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◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しま . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》
《1 》(平成28年2月24日撮影)
《2 》(平成28年2月24日撮影)
《3 》(平成28年2月24日撮影)
《4 》(平成28年2月24日撮影)
《5 》(平成28年2月24日撮影)
《6 》(平成28年2月24日撮影)
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◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナ . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》「演習」とはどんな演習か
さて賢治が昭和3年8月実家に戻った理由についてだが、
心身の疲勞を癒す暇もなく、氣候不順に依る稻作の不良を心痛し、風雨の中を徹宵東奔西走し、遂に風邪、やがて肋膜炎に罹り、歸宅して父母のもとに病臥す。が通説だという。ところが、『阿部晁の家政日誌』によって天気や気温を、当時の新聞報道等によって稲作事情を、さらには賢治の健康 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》昭和3年6月の上京
昭和3年の6月賢治は上京した。そこでまずは、昭和3年6月分について賢治の営為と詠んだ詩等を『新校本年譜』から以下に抜き出してみると、
六月七日(木) 水産物調査、浮世絵展鑑賞、伊豆大島行きの目的をもって花巻駅発。仙台にて「東北産業博覧会」見学。東北大学見学、古本屋で浮世絵を漁る。書簡235。
六月八日(金) 早朝水戸着。偕楽園見学。夕方 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 さて、澤里武治は
確か昭和二年十一月の頃だつたと思ひます。当時先生は農学校の教職を退き、猫村に於て農民の指導は勿論の事、御自身としても凡ゆる学問の道に非常に精勵されて居られました。その十一月のビショみぞれの降る寒い日でした。
「澤里君、セロを持つて上京して来る、今度は俺も眞劍だ、少なくとも三ヶ月は滯京する、俺のこの命懸けの修業が、結実するかどうかは解らな . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》あり得ない牽強付会
なんと、『新校本年譜』の大正15年において、
一二月二日(木) セロを持ち上京するため花巻駅へゆく。みぞれの降る寒い日で、教え子の高橋(のち沢里と改姓)武治がひとり見送る。となっていて、
関『随聞』二一五頁の記述をもとに校本全集年譜で要約したものと見られる。ただし、「昭和二年十一月ころ」とされている年次を、大正一五年のことと改め . . . 本文を読む