みちのくの山野草

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京城 栴 文楨

2020-08-27 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉

 この追悼集には海外からも寄せられていた。ちなみに今回は、京城から寄せられた次の「追悼」を転載したい。
    京城 栴 文楨
只今御手紙有難拝見仕りました。悲しみの中にも何ともたとへやうもない頼母しさ力強さを胸深く感じました。さうです、先生は死に給はず我等も心の中に脈々と生きて居られます。否一粒の麦はおちたがそれより芽生えた夛くの美しき果子は益々光り輝くでありませう。先生の御逝去は全く信じられない夢のやうな事でしたがこれが現実なのだらうなんともいたしかたのない事です。しかし我等は徒に泣き悲しんで時間はない。師の尊き美しい御志をうけついで身命を捧げて進むことこそ師の恩に報ゆる唯一の道であります。手を握り合へて大いにやりませう、私共鶏林最上の會員九名も皆固き誓いひを立て、張り切ってゐます。
             〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)31p〉

 さて、「只今御手紙有難拝見」とあることから、吉田六太郎は手紙を通じて、海外の栴文楨にも「甚次郎追悼の寄稿をお願い」をしたのであろうことが容易に覗える。また、「私共鶏林最上の會員九名も皆固き誓いひを立て、張り切ってゐます」という一文からは、京城にも「鶏林最上の會」が組織されていて、同地で仲間九名一緒に「最上共働村塾」と似たような実践を行っていたのであろうことも想像に難くない。そして、話は少し戻るが、京城の栴にも追悼の寄稿を頼んだわけだから、そのような通信上のネットワークが当時形成されていたようだということにも心に留めておきたい。それから大事なことがもう一つある。
 それは、前回の〝福島 遠藤修司〟において遠藤は、「一粒の麦、地に落ちて死なずば唯一つにてありなん。死なば多くの果を結ぶべし」と言っていたが、いみじくもこの栴 文楨も「一粒の麦はおちたがそれより芽生えた夛くの美しき果子は益々光り輝くでありませう」と同じ意味のことを海外の京城で言っていることから、松田甚次郎がこのように高く評価をされていたことはほぼ妥当であったであろうということを、私は知ることができた。

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