〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉
さて、「手紙」が貼られた『追悼 義農松田甚次郎先生』の扉を示すと下掲のとおりであり、
【義農追悼】
「昭和十九年三月四日刊」
となっているから、この『追悼 義農松田甚次郎先生』の出版日は昭和19年3月4日であることが判る。
なお、「二十一回猛士」とあるが、これは吉田六太郎が吉田松陰を尊敬していたことに因んでいるようである。
そして、さらにページを捲ると下掲のような目次が現れる。
【義農松田甚次郎先生追悼号】
そこでまずハッとしたのが、賢治はしばしば「聖農」とか「農聖」と称えられているが、松田甚次郎の稲作指導の実態は賢治に勝るとも劣らないと思われるのに、甚次郎のことを「聖農」とか「農聖」と称えている人は誰一人としていないのではなかろうか、ということである。そうではなくて、甚次郎は「義農」として称えられてるのだ、ということにである。そう言えば、鳥越八幡宮に建っている石碑も”義農松田甚次郎先生碑”と刻まれていた。そしてもちろん、その石碑の隣には「松田甚次郎の胸像」が建っている。
そこで、あれっ、と思ったのが、
「義農」と称えられてる甚次郎には胸像や石碑が建っているのに、「聖農」とか「農聖」とさえも称えられている賢治には、“聖農宮澤賢治先生碑”も胸像も建っていないのは何故なのだろうか。
ということである。そして次に、改めて甚次郎は多くの人々から敬慕されていたのだということを、私は納得させられた。それは、目次には著名な人の寄稿や弔詞以外に、106名もの「追悼」が載っていたことから自ずから明らかだったからである。
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私は非専門家。
************先頃、「非専門家の調査研究・報告書」だからという理由で「宮城県図書館」から寄贈を拒否された『本統の賢治と本当の露』です***********
賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』は、「仮説検証型研究」という手法によって、「羅須地人協会時代」を中心にして、この約10年間をかけて研究し続けてきたことをまとめたものである。そして本書出版の主な狙いは次の二つである。
1 創られた賢治ではなくて本統(本当)の賢治を、もうそろそろ私たちの手に取り戻すこと。
例えば、賢治は「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」し「寒サノ夏ニオロオロ歩ケナカッタ」ことを実証できた。だからこそ、賢治はそのようなことを悔い、「サウイフモノニワタシハナリタイ」と手帳に書いたのだと言える。
2 高瀬露に着せられた濡れ衣を少しでも晴らすこと。 賢治がいろいろと助けてもらった女性・高瀬露が、客観的な根拠もなしに〈悪女〉の濡れ衣を着せられているということを実証できた。そこで、その理不尽な実態を読者に知ってもらうこと(賢治もまたそれをひたすら願っているはずだ)によって露の濡れ衣を晴らし、尊厳を回復したい。
〈目次〉現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
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