みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

室蘭 島貫太吉

2020-09-09 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉

 では今度は、北部第九五五七部隊西嶋隊の隊員からの次のような「追悼」についてである。
   イーハトーヴォに咲く花 
   室蘭市 北部第九五五七部隊西嶋隊
              島貫 太吉
イーハトーヴォに通ずる道は無数にあり、然もいづれも極めて難儀にして峻しい道である。
宮澤賢治は三十八歳にして逝き、今また松田先生三十五歳にして去る。吾等の師父達の日々はその瞬間々々に於ていのちの火花を散らして行つたのである。
花は一つの花片からのみ出来ない。日々の力と美との結集された花片が固まつて美しい花と咲く。イーハトーヴォに明るく輝く花は今亦一層の輝きを加へた。
×     ×
頭脳は文化人たれ、肉体は野畜人たれと理想化された最高の文化人の一員としてその一生をこの皇国に捧げ切つた松田先生の一生は、決して悔なき生涯であつたことだらうと考へられる。
私は先生の頑丈な手と足とを思ひ出した。固つた手、釘をふみつけてもとおりさうもない足の裏。或農民文化講習会へ行つた折の事であつた。例の「土に叫ぶ」の体験を通じて農民文化の興隆を願つた際、居合わせた青年たちがその夜先生を囲んで講演の疑問を投げかけた時である。先生は格別に反論するでもなく「心あれば結局何でも出来ますよ」と云つて静に冥想されてゐた。そのとき一人の青年がじつと先生の手と足を見つめてゐたが何物かに打たれたらしく「あゝ本当だ」と感動し一座の連中も信頼愈々深いものがあつた。この時、始めて一つのイーハトーヴォへの道に歩み出すことが出来たのである。
自ら髙きにあつて他を導き引き上げるのではない、自分も一度その低きに下りてその道を登り得る如くに坂道を切り拓いて始めてその連中と歩み出す先生の態度には学ぶべき夛くのものがある。近代農村の指導者の寒暖、この型に私は前者は石川理紀之助翁と後者に宮澤賢治氏とを分類してゐる。すべて否定から出発した石川翁、肯定から出立した宮澤氏こそその二つの巨きな指導者の何れにも属さず然も二つながらの美点を持ちあはせた松田先生を今更ながら追惜してゐる。然し決してその尊い精神は滅びぬ。種まく人の一人の播いた種子は各地に双芽を出し、夫々開花へと営々と励んでゐるのである。
×     ×
過ぐる夏、入隊せんとしてお別れに伺った折に心より歓送して下され、塾生始めご夫人と共に、左藤春夫の詩にて歓送して下さつた事を昨日の如くに思ひ出す。
そして必ず無事で帰還する時には元氣な顔を見せ會はうと云つて約束された先生が今はもう既に無いのである。
 木炭位文化的な燃料は有りませんね、とか云つて鑪を囲んで話した吹雪の晩がなつかしまれる。
 然し私は屈せぬ。先生の逝かれた日から更に巨な普遍性を以つて皿にも強く私に迫る。先生を越えて更にも強く、高く進みだす事が本当のイーハトーヴォへ通ずる最大の道である。と共に、全ての吾々の同志の覚悟なければならないと信ずる。
 陣中の間この一文を草し、先生の御魂安なれと念ずる事切なるものがある。
 イーハトーヴォに咲く花は、冬でも霜枯れにでも咲く花。一層強く、美しく輝いて行つて呉れ。          検閲済
             〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)43p〉

 まずは、心のこもった「追悼」であることは、長文であることからも端的に言えそうだ。これほど長文の「追悼」は今まで載っていなかったからだ。
 一方で、軍隊に入隊中の島貫が検閲を気にしながらこの「追悼」を書いていたことになるから、私の想いは複雑だ。それは例えば、冒頭の「然もいづれも極めて難儀にして峻しい道である」という一言によってもだ。
 そして、続く「宮澤賢治は三十八歳にして逝き、今また松田先生三十五歳にして去る。吾等の師父達の日々はその瞬間々々に於ていのちの火花を散らして行つたのである」という一文から、入隊中のある一人が賢治と甚次郎を同列に見ていたということも知った。この二人を比較すると、とかく甚次郎一人が国策におもね虚名を流したと誹られがちだが、それはおかしいぞということをこの一文は示唆していそうだ。

 さて、「イーハトーヴォに通ずる道は無数にあり、然もいづれも極めて難儀にして峻しい道である」ということだから、そこに島貫の諦念を垣間見て気の毒に思ったのだが、それは私の浅慮であった。というのはその後に、
 先生は格別に反論するでもなく「心あれば結局何でも出来ますよ」と云つて静に冥想されてゐた。そのとき一人の青年がじつと先生の手と足を見つめてゐたが何物かに打たれたらしく「あゝ本当だ」と感動し一座の連中も信頼愈々深いものがあつた。この時、始めて一つのイーハトーヴォへの道に歩み出すことが出来たのである。
というエピソードなどが紹介されていたからだ。
 そして、なぜ島貫がそのように思い至ったのかというと、「自ら髙きにあつて他を導き引き上げるのではない、自分も一度その低きに下りてその道を登り得る如くに坂道を切り拓いて始めてその連中と歩み出す先生の態度」がそう為さしめたのだろう。そう推測した私は、そこに賢治と甚次郎の大きな違いがあるんだよな、と一人ごちたのだった。そして、それは私だけではなく、「二つの巨きな指導者の何れにも属さず然も二つながらの美点を持ちあはせた松田先生」という言辞がいみじくも語っているのではなかろうか、ということに気づかされた。畢竟、甚次郎はこの二人を超えていたと島貫は認識していた、ということにだ(先程までは、島貫は二人を「同列に見ていた」と私は解釈していたのだが、そうではなかった)。
 そして実は正直に言うと、最近の私自身もそう思い始めていた節がある。しかし島貫のお蔭で、そのことをこれで覚悟することができた。そう、甚次郎の実践は賢治のそれを超えていたのだ、と。

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《発売予告》  来たる9月21日に、
『宮沢賢治と高瀬露 ―露は〈聖女〉だった―』(『露草協会』編、ツーワンライフ社、定価(本体価格1,000円+税))

を出版予定。構成は、
Ⅰ 賢治をめぐる女性たち―高瀬露について―            森 義真
Ⅱ「宮沢賢治伝」の再検証㈡―〈悪女〉にされた高瀬露―      上田 哲
Ⅲ 私たちは今問われていないか―賢治と〈悪女〉にされた露―  鈴木 守
の三部作から成る。
             
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