みちのくの山野草

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兵庫 阿部正彦

2020-08-18 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉

 では今回は、遠く兵庫からの追悼であり、阿部正彦のものである。
    兵庫 阿部 正彦
宮澤賢治先生、松田先生御二人とも愈々これからと云ふ處で然も三十代の御若さで黄泉の旅路へ赴かれた。日本農民の師父として農に生きる人々の誠にありがたき存在でした。一粒の麦地に落ちて数多の實を穣らす今、真に哀悼の限りで目を閉ぢて祈るばかりでござます。黄金の波うねる時を寸前にして先生は御霊と成られ二百十日の無事を祈つて居て下さるでせう。そして精神は多くの人々によつて継がれ二代三代の二先生が生まれることは信じて疑ひません。「今こそ涙をふいて起つべき秋」との御便り通りです。聲咳に不接の自分ながら農魂を最初に植付られた身として「二十一回猛士」誌の賑しく真實一路の文章に接する日を待つてをります。噫何としても惜しい残念でなりません。遥かに両先生の御霊安らかと祈つて居ります。      合掌
             〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)28p〉
 ここで認識を新たにした一つが、当時、賢治と甚次郎のことを「日本農民の師父」と見ていた人もいたのだということである。まず賢治に関してだが、この追悼集は昭和19年の発行だから、賢治没後約十年後にして既に、遠く兵庫県人の一人が賢治のことを「日本農民の師父」と位置づけていたということになる。もちろん賢治は「野の師父」という詩を詠んでいるわけだが、その詩から賢治が「日本農民の師父」だということは導けないと思うのだが……。その一方で、とりわけこの『追悼』集を読めば読むほど、甚次郎がそう呼ばれるのは理屈としては充分成り立つことだと思わせられる。
 それから気になったのがここに〝「二十一回猛士」誌〟が登場してきたことである。もちろんこの「二十一回猛士」はこの投稿のトップに掲げてある表紙上段の「二十一回猛士」と同一のものであろう。そう言えば、この表紙の下段に書かれている「神民塾」が登場したのは京都の平山常太郎の追悼に於いてであったから、この「二十一回猛士」とか「神民塾」というものは、近畿地方と強い関連があるに違いない。

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《発売予告》  来たる9月21日に、
『宮沢賢治と高瀬露 ―露は〈聖女〉だった―』(『露草協会』編、ツーワンライフ社、定価(本体価格1,000円+税))

を出版予定。構成は、
Ⅰ 賢治をめぐる女性たち―高瀬露について―            森 義真
Ⅱ「宮沢賢治伝」の再検証㈡―〈悪女〉にされた高瀬露―      上田 哲
Ⅲ 私たちは今問われていないか―賢治と〈悪女〉にされた露―  鈴木 守
の三部作から成る。
             
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