みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

弔辞 宮澤清六(『「賢治精神」の実践』所収)

2020-07-30 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉

 さて、では今回はその、安藤玉治の『「賢治精神」の実践』を見てみよう。そこには、
 松田が生涯恩師と仰ぎ慕った賢治の実弟清六の弔辞を最後にかかげたい。生前、清六と格別親しく、またその宮沢一家とも親交の仲であった。

 私共の燈火であり、舟筏であり、源泉であったあなたが、突然この世界を去られまして、天と称ばれる世界においでになられましたことは、私どもをまったく驚愕させ、いまなお激しい悲しみの中にあります。あなたは私どもに働くことの楽しみや、まことの道を示されましたから一番最後に、あなたの選ばれました「名作選」の
〝たよりになるのは
 くらかけつづきの 雪ばかり〟
という詩をあなた御自身のからだでもって解説して下さったのでありました。
 正しく語り、正しく行い、正しく念じ、正しく進まれたあなたの御生涯の立派さ、堅く道を信じて疑いと悩みを遮り、偏に道を念じては邪の想を破られたあなたの勇猛心、内に菩薩の行を深く秘して、外には方便のために種々の相を現ぜられました荘厳さ。まさしくあなたの御生涯は菩薩道でありました。
 厳しいあなたの御訓戒を身に浴びて、私共もまた各々に与えられましたいろいろの正しい道を求めて、正しく進もうと決心しています。
 今日の追悼の会にあたりまして、我が農村を、我が大日本国を、いよいよ強く守護せられ、われらを正しく指導せられますように、再びあなたに祈念して奉ります。
 昭和十八年九月五日                            宮沢清六
                            (「追悼義農松田甚次郎先生」)
              〈『「賢治精神」の実践』(安藤玉治著、農文協)230p~〉
というような記述がなされていて、松田甚次郎に向けた清六の「弔辞」が引かれている。
 当然私は狐につままれた感じがした。それは、この「弔辞」は、先の「弔詞」とは違っているからである。ちなみに、こちらの期日は「昭和十八年九月五日」なのに、先の「弔詞」の期日が「昭和十八年八月」であることから、端的に判る。
 そこで、前回の宮澤清六の「弔詞」を再掲すると、こちらは以下のとおり。
生涯を農に捧げ、土に俯してはまことの種子を播き、天を仰いでは無上の道を求められました松田甚次郎氏は、いま兜卒の天にのぼられて吾薩の位に入られました。堅く道を信じては疑と悩みを遮り、勤めて道を進んでは□を除き、偏に道を念じては邪の想を破り、明らかに聖□究めてはよく盲見を去られたのであります。八聖立道と謂ひ七覚分といひ、菩薩道と謂ふもまた松田氏の勤め修められた道ではありませんか。
嗚呼今月の二十六日夜!共に日天子を岩手山の端に拝み奉ることも、また果無き夢と消え失せたのであります。いまは大循環の風と共に、銀河の彼方に飛び去つて、不退轉の位に入られましたあなたに、また何をか申上げることが出来ませう。いま私は激しい悲しみのなかで私が農村を、我が大日本國を益〃強く守護せられ、われらを正しく指導せられんことをあなたに祈念し奉ります。
   昭和十八年八月
      岩手県花巻町            宮澤清六
             〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)14p〉
 したがって、この「弔詞」と「弔辞」は違うものであることは、もはや明らかだ。釈然としない。しかも、「(「追悼義農松田甚次郎先生」)」という注記があるものの、私が今見ている〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉の中にこちらの「弔辞」は見つからない。一体どういうことなのだろうか。
 そしてまた、後者「弔詞」についてはさすがは清六、格調が高くて凄いと私は感じたのだったが、前者「弔辞」に対してはそれほどの格調の高さは私には感じられない。
 なお、そもそもの懸案、判読できない箇所〝□〟が何であったのかは相変わらず判らぬままだ。

 続きへ
前へ 
 “「松田甚次郎の再評価」の目次”へ。
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

 私は非専門家。
 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』は、「仮説検証型研究」という手法によって、「羅須地人協会時代」を中心にして、この約10年間をかけて研究し続けてきたことをまとめたものである。
 そして本書出版の主な狙いは次の二つである。
 1 創られた賢治ではなくて本統(本当)の賢治を、もうそろそろ私たちの手に取り戻すこと。
 例えば、賢治は「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」し「寒サノ夏ニオロオロ歩ケナカッタ」ことを実証できた。だからこそ、賢治はそのようなことを悔い、「サウイフモノニワタシハナリタイ」と手帳に書いたのだと言える。
 2 高瀬露に着せられた濡れ衣を少しでも晴らすこと。
 賢治がいろいろと助けてもらった女性・高瀬露が、客観的な根拠もなしに〈悪女〉の濡れ衣を着せられているということを実証できた。そこで、その理不尽な実態を読者に知ってもらうこと(賢治もまたそれをひたすら願っているはずだ)によって露の濡れ衣を晴らし、尊厳を回復したい。
〈目次〉

 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,650円(本体価格1,500円+税150円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。

           〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
                      電話 0198-24-9813
             
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 花巻のとある森(7/27、ヒツ... | トップ | 花巻のとある森(7/27、ヤマ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

甚次郎と賢治」カテゴリの最新記事