みちのくの山野草

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盛岡 森 荘已池

2020-09-02 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉

 では今回は、森荘已池の寄せた次の「追悼」についてである。
   松田さんの生活
   盛岡 森荘已池
松田さんは寸暇を見つけては塾生たちとよく旅行に出た。旅行先では何時間もの講演もいとはず、また農事の指導にも當つた。また、百聞一見に如かずと云ふ態度で土地土地の農事から夛くのものを吸収した。そしてその吸収した知識は、また己れ一身のためのものではなく、夛くの人々のものとした。これは科學的精神と義農的精神の発露である。
松田さんは激しい労働のあと、塾生たちとよく夜分にベートーヴェンの交響樂をきいた。何等西洋音樂の知識のない塾生たちは最初は、やかましいだけで少しも面白くないベートーヴェンに内心は大迷惑だつたらしいが、やがてその音樂をきくことを無上の娯しみとするやうになるのであつた。最高の芸術の與へ方であり鑑賞なのである。
キリスト教くさい言ひ方ではあるが、一粒の麥は地に落ちなければならぬ。松田氏はもつともよき一粒の麥であつた。みよ、松田氏個人の肉身は地上に今や亡いが夛くの麥は地上にまかれ、各地に生えかけてゐるではないか。この麥は祖国の農村のために大事な種である。かくて松田氏の精神は生き発展しやむところをしらないであらう。
             〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)41p〉

 さて、森荘已池と松田甚次郎に関しては、かつて〝4225 松田甚次郎と森荘已池と伊藤ちゑ〟において私は、
 木口二郎の詩集『木心居』(文明堂書店、昭和13年)を見ることができたので私は腑に落ちた。そこからは昭和13年11月14日、15日に森荘已池と木口二郎(菊池暁輝)が松田甚次郎を雫石方面に案内し、小岩井農場を訪れていることを知ることができたからだ。
と言及したように、この詩集に従えば二人は一緒に小岩井農場へ行ったりしているから、森は甚次郎のことはそれなりに知っていたであろう。それは、甚次郎は羅須地人協会に賢治を三回とかそれ以上訪ねていたという人が少なからずいるが、そうではなくて二回であるとはっきり断言しているのは私の知る限り森しかいない<*1>ことからも導かれる。
 一方でこの森の「追悼」で惜しまれるのは、森は「甚次郎と賢治」という観点からは追悼していないことである。もちろん、森は大正15年に東京外語学校に入学したのだが、昭和2年3月1日に脚気(心臓脚気)を病んで盛岡病院に入院してしばらく病臥していた(『森荘已池年譜』(浦田敬三編))から、昭和2年3月8日に甚次郎が初めて下根子桜に訪れて「小作人たれ/農村劇をやれ」と強く「訓へ」られたことも、同年8月8日に二度目で最後となった下根子桜訪問の情報にも疎かったのであろうことは、容易に推測できるから、ある意味当然だったのであろう。それ故、「一粒の麥」を持ち出したのか、とついごちてしまった。
 それにしても、当時はこの「一粒の麥」を用いた言辞が巷間よく使われていたのだということを、改めて認識した。それは、例えばこの追悼集の中にも既に次の三名、兵庫の阿部正彦は「一粒の麥地に落ちて数夛の実を穣らす」と言っていたし、京城の栴 文楨は「一粒の麦はおちたがそれより芽生えた夛くの美しき果子」と、さらに、福島の遠藤修司は「一粒の麦、地に落ちて死なずば唯一つにてありなん。死なば多くの果を結ぶべし」と述べていたからである。

<*1:投稿者註> 森荘已池は、『宮澤賢治と三人の女性』(森荘已池著、人文書房、118p)で、 
    『土に叫ぶ』の松田甚次郎氏だつて、たつた二回あつたきりでした。
と述べている。なお、これが正しいことは松田甚次郎の日記を見れば裏付けられる

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