みちのくの山野草

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長野 萩原逞次

2020-09-19 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉

 では、またまた長野からのものである。
  長野 萩原 逞次
私のやうな貧しき筆には十分先生の御人格を表すことが出來ませんが、唯偉い人であつたといふことは間違ひありません。先生は無言のうちに我々を導いて呉れました。最初先生に御面接した折は長年の労苦を物語り恐ろしさが感ぜられましたが、暫く同棲してゐますと怖いどころか却つて非常に優しい先生であることを発見しました。先生は非常に優しく指導して下さいました。私は不幸に、塾で病を得て帰郷したものですが二週間程塾で病臥してゐる際の先生の慈母に劣らぬ看護振りに幾度となく泣かされました。「心配せんでもよい、直治る」と毎日のやうに勵まして呉れたお姿が目の当たりに現れて來ます。先生が喪くなつたなんて嘘のやうでなりません。どんな症状でお亡くなりになつたか知りませんが、多分先生のおことだから体の使ひ過ぎでせう。私が塾に居る時にも昼間は野良仕事に精出、夜分は夜分で毎日筆記ごとをなされておりました。余暇を見てといつても、大事な睡眠時間を割いて書物を著したのでせう。そんな故か田圃にゐて体の具合が悪いやうな時が屡々見受けられました。そんな無理が積つて御病氣になつたものかと思はれます。何れにしても先生の御逝去は残念で堪りません。四千万農民の㐧損傷です。だが先生の肉体は亡びても魂は嚴として生きておられます。先生は決つと地下にゐて立派な百姓になつて呉れとお勵ましになつておられるでせう。我々は必ず先生の御期待に添つて先生の御霊を慰めねばなりません。先生のご冥福をお祈りして止みません。
             〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)より〉
 やはり萩原も「先生は無言のうちに我々を導いて呉れました」と語っており、先に長島正雄が、「先生ほど徹頭徹尾不言実行の一路を大なる至誠をもつて貫き通された方はありません」と言っていたことを思い出す。しかも、その時正しくは、「眞に土に生きる總ての人々がそうであるやうに、先生ほど徹頭徹尾不言実行の一路を大なる至誠をもつて貫き通された方はありません。」と言っていたことに気づき、そういうことになるのかと私は一人言を言った。そうか、「眞に土に生きる總ての人々がそうである」のか、と。
 そしてまた、「私が塾に居る時にも昼間は野良仕事に精出、夜分は夜分で毎日筆記ごとをなされておりました。……そんな故か田圃にゐて体の具合が悪いやうな時が屡々見受けられました」ということだから、甚次郎は泥田に入って実際に米を作ることはもちろんだが、とりわけ青年農民たちの指導等のために己の体に日々鞭打ち、ついにはその無理が祟って斃れたのだ、と改めて私は覚った。言うだけ言って、自分は何も為さなかったという様なアンフェアな人物では決してなかったのだ。

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