《「時局情報」八月号の原稿(吉田六太郎先生による写し)の一部》
以前〝生き急いだ松田甚次郎〟において私は次のようなことを投稿した。
さて、「雨乞い祈願」の無理が祟って松田甚次郎は病に伏すことになってしまったという。そして、倒れてから一週間が過ぎた日付の、病床の松田が花巻の宮澤清六に宛てた手紙の内容は、
というものであったと、安藤玉治は紹介している。
そしてこの投稿のトップの写真が、まさに、『「時局情報」八月号の原稿五枚』の一部である。 あれから熱が三十九度五分を前後して毎日苦しい病床、道場の生活も何も考えず、読まず、見ず、遂今日迄九日がすぎました。もう何も欲しくない。平熱が欲しいだけであると謂いつづけて参りました。けれども昨日の午後二時より夕立があり、一時間、この乾き切った地上に慈雨が豊かに降りそそいでくれました。田にも畑にも山にもみな四〇日ぶりのこの慈雨、音と光りとにじっとして感謝をささげたのでした。
今朝は少し熱が下がり、机に向かって熱で疲労した指の関節部分の運動をして居ります。本日までに出さねばならない「時局情報」八月号の原稿五枚を、この熱の静かな時間に書こうと思って居ります、
見前の吉田六太郎先生は毎日激励のハガキを下さいますが、この熱で一寸も動けないのです。では失礼します。
宮澤清六様 松田甚次郎
<『「賢治精神」の実践【松田甚次郎の共働村塾】』(安藤玉治著、農文協)218p~>今朝は少し熱が下がり、机に向かって熱で疲労した指の関節部分の運動をして居ります。本日までに出さねばならない「時局情報」八月号の原稿五枚を、この熱の静かな時間に書こうと思って居ります、
見前の吉田六太郎先生は毎日激励のハガキを下さいますが、この熱で一寸も動けないのです。では失礼します。
宮澤清六様 松田甚次郎
というものであったと、安藤玉治は紹介している。
さて、ではどうしてこの『「時局情報」八月号の原稿(吉田六太郎による写し)』を私が見ることができたのかというと、上掲の記述の中に登場する吉田六太郎先生のご子息矩彦氏からこの度見せて頂いたからである。
ちなみに、それは六太郎先生が作った下掲の資料集『松田甚次郎追悼文』の中にあった。
〈吉田矩彦氏所蔵〉
そして、この資料集を元にして、六太郎先生は下掲のような『追悼 義農松田甚次郎先生』を出版したのであった。
〈吉田矩彦氏所蔵〉
そこで、これから暫くこの『追悼』に関して投稿をしてゆきたい。
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私は非専門家。
************先頃、「非専門家の調査研究・報告書」だからという理由で「宮城県図書館」から寄贈を拒否された『本統の賢治と本当の露』です***********
賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』は、「仮説検証型研究」という手法によって、「羅須地人協会時代」を中心にして、この約10年間をかけて研究し続けてきたことをまとめたものである。そして本書出版の主な狙いは次の二つである。
1 創られた賢治ではなくて本統(本当)の賢治を、もうそろそろ私たちの手に取り戻すこと。
例えば、賢治は「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」し「寒サノ夏ニオロオロ歩ケナカッタ」ことを実証できた。だからこそ、賢治はそのようなことを悔い、「サウイフモノニワタシハナリタイ」と手帳に書いたのだと言える。
2 高瀬露に着せられた濡れ衣を少しでも晴らすこと。 賢治がいろいろと助けてもらった女性・高瀬露が、客観的な根拠もなしに〈悪女〉の濡れ衣を着せられているということを実証できた。そこで、その理不尽な実態を読者に知ってもらうこと(賢治もまたそれをひたすら願っているはずだ)によって露の濡れ衣を晴らし、尊厳を回復したい。
〈目次〉現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
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