みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

静岡 太田良元治

2020-08-31 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉

 では今回は、三度静岡からの次のような「追悼」についてである。
   静岡 太田良 元治 
大兄松田甚次郎氏の逝去、それは私には今以つて信じられない。信じようとするとき私には、長女を失つて間もないが故か人生に限りない寂寞さと極みない哀愁を感じられたのです。が、それはまた悲痛な決意とも勇奮ともなり土への愛着ともなります。大兄松田氏の姿と声は弱々しい静かなものでありました。しかしそのもつ響は重く強く印象をいつまでも残されました。土に叫ぶ土の叫、それは松田氏の口であり声ではなかつたのです。農魂であり赤誠であったのです。
私が松田氏を知つたのはすでに十余年前となり、農村不況に苦しみ眞の土の叫の発せられた時からでした。ことに印象の深いのは農水聯の結成の折農民荿の氏の提唱説明の声と姿です。其后共同組合の実践を通じ何かと命を通えられ、また私も何かと以願してしまった次㐧です。いつまでも獨身でいた私をしかり、嫁をと或る人すゝめて下さつたこともありました。
大兄松田氏は眞に赤実の人であり、全き農魂の人でありました。野の師父とし、大東亜眞の建設はかゝる人の実行によつてこそ築かれるべきであることを信じ一度参って御話し伺ひ度く念願しておった次㐧です。氏はすでに逝去された。私には失望のみでない限りない人生の悲愁であります。それを歯にクイシバるとき寂寞さと共に決意に土を起こすかは湧出せられる次㐧でもあります。大兄松田氏の霊魂の在世を私は祈り拝します。
             〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)40p〉

 さて、私はまず、「松田氏を知つたのはすでに十余年前となり、農村不況に苦しみ眞の土に叫の発せられた時」という一文に惹かれた。
 『土に叫ぶ』が出版されたのは昭和13年5月、そして『追悼 義農松田甚次郎先生』の出版は昭和19年3月だから、「十余年前」に多少違和感があるのだがそれはさておき、私にとってやはりなと思ったのが後半部分の「農村不況に苦しみ眞に土に叫の発せられた」である。どういうことかというと、当時の農村は「農村不況」の真っ只中にあったわけだが、甚次郎はその惨状に心を痛めてそれをなんとかしたいという想いと願いがあって『土に叫ぶ』を出版したのである、という見方を太田良元治もしていたのだと私なりに解釈できたからである。

 いや待てよ、私は一部誤解しているのかもしれない。やはり「十余年前」でいいのかもしれない。それは、昭和19年3月の時点で「十余年前」ということは、昭和9年より幾年か前ということになり、その頃甚次郎は、例えば「篤農青年大会」で話をしていたことを私は思い出したからである。
 というのは、安藤玉治が、
 昭和七年十二月、日本青年団主催の「全国篤農青年大会」が東京で開かれ、松田ら全国から一三〇名の篤農青年達が選出され出席した。
 ここで松田は、「鳥越倶楽部」出実践している事例とともに、施設の共同利用について発表し、共同利用でやろうとすると、世の中の法律にひっかかり非常にやりにくいということをいった。
              <『「賢治精神」の実践 松田甚次郎の共働村塾』(安藤玉治著、農文協)111p>
と述べていたからである<*1>。
 そこで、このような強い口調の発言を全国大会でしていた甚次郎の存在とその主張は、『土に叫ぶ』が出版さる昭和13年以前に既に静岡の太田良元治たちにも知られていた蓋然性が低くない。こう考えれば、「十余年前」でも年数的には辻褄が合う。
 そしてまた、「全き農魂の人でありました。野の師父とし、大東亜眞の建設はかゝる人の実行によつてこそ築かれるべきであることを」という発言に少し引っかかるが、「松全き農魂の人でありました。野の師父とし」という太田良元治の一言は、甚次郎の実践を讃え、彼を尊崇していたが故のことであろう。
 すると、誰かが甚次郎のことを、「時流に乗り、国策におもね、そのことで虚名を流した」とくさしていたが、甚次郎自身は「時流に乗り」というわけではなく、当時の「農村不況」を何とかせねばならんと決意して東奔西走、ついに斃れたということがやはりことの真相であったのだ私は判断できた。それは、「大東亜眞の建設はかゝる人によつてこそなさるべき」は甚次郎がこう言っているわけではなく、あくまでも他人である太田良元治の認識の仕方だとも言えるからなおさらにである。

 にもかかわらず、誰かが甚次郎のことを「国策におもね、そのことで虚名を流した」とここまで辛辣にくさしていることははたして如何なものか、と私は改めて訝るのだった。すると、「問われているのは実はそう誹ったこの「誰か」の人間性だ」、という幻聴がした。

<*1:投稿者註> 甚次郎自身も、同大会に出席して部落施設の協議の時にこのような発言をしたということを述べている(『土に叫ぶ』81p)。

 続きへ
前へ 
 “「松田甚次郎の再評価」の目次”へ。
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

《発売予告》  来たる9月21日に、
『宮沢賢治と高瀬露 ―露は〈聖女〉だった―』(『露草協会』編、ツーワンライフ社、定価(本体価格1,000円+税))

を出版予定。構成は、
Ⅰ 賢治をめぐる女性たち―高瀬露について―            森 義真
Ⅱ「宮沢賢治伝」の再検証㈡―〈悪女〉にされた高瀬露―      上田 哲
Ⅲ 私たちは今問われていないか―賢治と〈悪女〉にされた露―  鈴木 守
の三部作から成る。
             
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«  遠野市稲荷穴(8/26、キツリ... | トップ |  遠野市稲荷穴(8/26、ヤマノ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

甚次郎と賢治」カテゴリの最新記事