みちのくの山野草

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「二人の農本主義者」

2020-10-06 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『近代山形の民衆と文学』(大滝十二郎著、未来社)〉

 大滝十二郎の『近代山形の民衆と文学』中に、
    ⑽二人の農本主義者
という項目があり、その一人として松田甚次郎のことが論じられていたので、この項目について少し触れてみたい。

 同項目は次のようにして始まっていた。
 大正末年に「純文芸を標榜」した詩歌誌『魚鱗』を発行した星川清躬は、一九二九(昭和4)年八月、こんどは「地方文芸を標榜」する総合文芸誌『地霊』を創刊した。地主不二夫・五十嵐昇…投稿者略…と一緒だった。星川は創刊号「地霊頌」なる詩を寄せ、「おゝ 神なる地霊よ」と、民族の創世、生命と生産のはらむ神秘なる霊宿る大地を讃美した。彼はこの前後から、日本村治派同盟の農本主義者・岡本利吉の思想に共鳴し、急速に農本主義に傾いていく。
              〈『近代山形の民衆と文学』(大滝十二郎著、未来社)136p〉
 そういえば、岡本利吉という名前どこかで見たぞ。思い出した!。『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)に追悼を寄せていた一人に岡本利吉という人がいたはずだ。そこでそのリスト<*1>を実際見てみるとたしかに「宇治山田 岡本利吉」とあった。この人か。そして、この岡本利吉が「二人の農本主義者」うちの一人だったのだ。
 ちなみに、岡本利吉のその「追悼」は
 松田さんと私は浅い関係ではありませんでした農村疲弊の声喧しい頃私は幾度も松田さんの家に厄介になり御紹介によつて新庄附近は各所を村山郡各村までも誘れて、農村の人々に談話させていただきました。今日でもその附近の農村中堅たちに御縁のつながるのは□□松田さんが御配慮でした。その松田さんがなくなられたと聞いた時私は、私の耳を疑ひました。
まだ若いのに私よりずつと若いのにあの天才の松田さんが東北より消え去ることは大きな國家的損失だと悲しくなりました一昨年は北秋から中村□郎さんを失ひ、篤農森繁さん失ひ悲しみの上の悲しみです。
私の餘命は追福をもかねて一層頑張ねばならぬと思つてます。
             〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)より〉
というものである。よってこの「追悼」に従えば、松田甚次郎と岡本利吉はかなり懇意な間柄であったということになる。

<*1> 『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)に追悼を寄せた人物のリストは以下のとおり。
盛岡 早坂 健
神戸 福本 義亮
岩手 菊池 佐江治
岩手 佐々木 由太郎
岩手 鷹嘴 直治
東京 臼井 紀一
千葉 増田 政美
茨城 佐々木 喜一郎
北海道 吉田 澄志
秋田 髙橋 徳藏
東京 倉本 彦五郎
秋田 三宅 秀雄
東京 名倉 淳子
秋田 栗林 直治
岩手 館澤 邦宣
山形 早坂 昇
山形 長島 正雄
東京 松永 材
山形 黒田 清
新潟 佐藤 文子
北海道 上家 喜代子
東京 佐藤 直衛
京都 平山 常太郎
北海道 安達 利比呂
青森 齊藤 浩
秋田 加藤 徳右エ門
山形 阿良 正次
東京 上原 祉郎
新潟 小川 恭夫
京都 森田 喜久治
山形 花山 昭雄
会津 星 賢正
東京 川上 治雄
山形 大木 京三
東京 菅野 利雄
岩手 小山 壽
東京 大久保 傳藏
兵庫 阿部 正彦
福島 坂田 八千代
栃木 國井 文子
埼玉 牧野 藏之助
富山 布瀬 富夫
岡山 小池 正志
新潟 岩杉 利助
福島 一谷 源八郎
東京 円 つたえ
静岡 鷲巣 よし
長野 竹内 斌
静岡 池谷 武夫
?北 福田 常雄
青森 髙屋 正衛
京城 栴 文楨
山形 庄司 泰玉
埼玉 中澤 省三
新潟 中川 義一
茨城 髙橋 まさ子
秋田 丸山 助吉
福岡 柿本 君子
秋田 中山 久光
大分 酒井 藤麿
長野 長針 功
長野 萩原 逞次
東京 松田 解子
福岡 岸原 俊基
北海道 中澤 茂
仙台 山田 二郎
浦和 森 運太郎
山形 成田 竹次郎
岩手 照井謹二郎
山形 田宮 真龍
長野 柳澤 素介
山形 吉野 五郎
静岡 朝倉 利策
兵庫 水原 巖
福島 遠藤 修司
長野 宮下 清
朝鮮 伊藤 重次郎
福岡 福田 榮三郎
静岡 太田良 元治
市川 大野澤 啓
盛岡高農 上村 勝彌
東京 熊谷 辰治郎
盛岡 森 荘已池
盛岡 西川 大作
盛岡 鏑 慎二郎
大阪 三浦 参玄洞
岩手 小坂 友次郎
岩手 藤澤 美雄
秋田 沼倉 精一
宇治山田 岡本 利吉
岩手 安藤 玉治
群馬 阿部 いわ
○○ 藤澤 武
満州 渡部 由夫
室蘭 島貫 太吉
大阪 手島 新十郎
柴田 義勝
鈴木 教吾
植田 徳治
吉田 賢治郎
藤沢 四郎
朝鮮 石垣 清雄
藤沢 文一
桑原 明吉
藤沢 作藏
菊池 暁輝
     等

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