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〈『和光 追悼の詩』(松田むつ子編集発行、昭和55年11月)吉田矩彦氏所蔵〉
ではここからは、『和光 追悼の詩』についてである。この表紙は上掲のようなものであり、松田甚次郎の三十七回忌の追悼文集でもある。そして、その中身は下掲の通り。
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さて、この追悼文集については、大滝十二郎氏もあの『近代山形の民衆と文学』の中の項「松田甚次郎の追悼文集を読む」で取り上げており、
ひとときのあいだ、世間からまったく忘れ去られていた一人の人間の思想や実践が、ふたたび少数の世間の人びとの記憶に甦ってくる場合がある。
〈『近代山形の民衆と文学』(大滝十二郎著、未来社)337p〉と前置きして語っている。もちろん、この「一人」とは松田甚次郎のことである。そして次に、松田法光の証言を引いていた。
「君を慕う君の同志は百数十名参加しました。そして正に訪れんとしている繁栄後、空前の稲作減反を契機とする農村の危機と、君への思い出をせつせつと語り合っております。太平洋戦争を前にした疲弊し切った農村と農民に対して本当に自分を捨て切って自分を捨てて燃焼しつくした、君の情熱が、今回の君の三十七回忌を通しての『土に叫ぶ』の再販を期し、再度よみがえらないと誰が断言出来ましょう」
〈同337p〉そこで私は、それ以前に知っていた松田甚次郎のこと、そしてこの度二つの追悼集(『追悼 義農松田甚次郎先生』及び『寂光「素直な土」』)を読んでみて、たしかに松田甚次郎は松田法光が「太平洋戦争を前にした疲弊し切った農村と農民に対して本当に自分を捨て切って自分を捨てて燃焼しつくした」と断定している通りだと私は頷く。おそらくそのことは、この『和光 追悼の詩』を読み進めればなおさら強く頷くことになりそうだ。
なお、この「松田甚次郎の追悼文集を読む」の中で大滝氏は、
確かに甚次郎は、晩年になればなるほど、戦争にのめり込んでいく国策に沿いながら村を救うことを夢みた。とすれば、ひとたびその国策が破産すれば、彼のドラマの世界も同時に破産するということになる。これは、ひとり甚次郎だけが遭遇した問題ではない。
〈同339p〉ということも付言していた。私には、果たして「国策に沿いながら」と、ましてそれを「……夢みた」とまで言い切れるのかという疑問はあるものの、少なくとも「ひとり甚次郎だけが遭遇した問題ではない」という断定はまさにそのとおりだと肯んずる。つまり、ひとり甚次郎だけが「時流に乗り、国策におもね、そのことで虚名を流した」と誹られる理由はない、ということをさらに確信した。
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