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〈『近代山形の民衆と文学』(大滝十二太郎著、未来社)〉
あの方は、
昭和十三年か十四年に、盛岡の菊池暁輝と鳥越(現新庄市)最上共働村塾の松田甚次郎がやって来て、山形市に賢治研究会をつくる相談をした。相談にのってくれたのは当時山形師範学校教授で日蓮の研究者である相葉伸(現群馬大学教育学部長)と、小学校教師の新関三良(現福島県史編纂委員)らであった。松田君は毎月出て来て研究会に協力してくれたが、賢治の作品はあまり勉強していると思えなかった。村塾の経営とその自給自足主義や農民劇は賢治の教えの実践とみられるが、しかし時流に乗り、国策におもね、そのことで虚名を流した。これは賢治には全く見られぬものであった。
<『修羅の渚』(法政大学出版局)7p~>ということを述べ、松田甚次郎のことをくさしている。
一方で、結城哀草果は、
と述べて、同じく甚次郞のことをくさしているという。
はてさて、なぜこうまでこの二人は松田甚次郎のことをくさしていたのだろうか。二人とも同じ山形県人であり、ある時期は一緒に活動していたはずなのに、である。
そこで調べてみると、前者「あの方」がかくの如くくさしたのは「陸羽一三二号物語」という論考の中でのことであり、この論考の初出は昭和49年発行の『北流』第八号所収のものだった。よって、松田甚次郎が亡くなった昭和18年から約30年後に、故人を公の出版物の中でこうくさしていたことになる。もちろんこうくさされても、甚次郞には反論も弁解も不能だから、私は「あの方」がどのような方だったのかが透けて見えてきた。
では後者結城哀草果は、何故かくの如く皮肉たっぷりにくさしていたのだろうか。まずこの〝①〟は、斎藤たきちが『地下水19号』の中で紹介していることであり、それは昭和14年のことであるという。さすれば、甚次郞没後にくさした「あの方」とは違って、結城が甚次郞をこのようにくさしたのは甚次郞存命中のことである。だから、私はいくら何でもそれはないでしょうと眉を顰めつつ、なぜこうも結城は辛辣だったのだろうかとず~っと訝っていたのだった。
ところが、『近代山形の民衆と文学』の中に、
自分(「あの方」のこと)たち農民が、農民組合を組織し小作争議を闘おうとすれば、組織論が必要となってくる。アナーキズムにはそれがない、とM(「あの方」のこと)は思ったのである。
昭和四年、Mは自分の住む宮町に農民組合を組織し、小作料減額闘争に入った。相手の地主は、皮肉にも結城哀草果の生家黒沼作右衛門であった。
〈243p〉昭和四年、Mは自分の住む宮町に農民組合を組織し、小作料減額闘争に入った。相手の地主は、皮肉にも結城哀草果の生家黒沼作右衛門であった。
という記述を見つけることができた。実は、結城哀草果は地主の息子だった。つまり、甚次郎も哀草果も共に地主の息子だったのだ。これで私はある程度腑に落ちたのだった。
どういうことかというと、甚次郞は賢治の「訓へ」に従って、「小作人」になり「農村劇」を実践し続け、そのことにより多くの人々に敬慕され、とりわけ農村青年に支持されたのだが、それにひきえ、同じような立場にいる自分(哀草果)は、という思いから反発したのだと考えれば、説明が付くぞと私は思い付いたのだった。
昭和14年といえば、哀草果は約46歳だったはずだから不惑は疾うに過ぎている。そのような哀草果が「三十そこそこの若年者が、生意気に農民道場主とはいったい何事ぞやと、罵りたいことが往々にしてある」というのだから、彼の人となりが透けて見えてきた。
どうやら、結城哀草果は松田甚次郎と同じ立場にあったが故に、思うところがあって甚次郞のこのように誹りたかったのだ、と考えればすんなりと合点がいくぞと思った。
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