〈『和光 追悼の詩』(松田むつ子編集発行、昭和55年11月)吉田矩彦氏所蔵〉
なんと、『和光 追悼の詩』の57pには下掲のような写真が載っていた。
つまり、この写真によれば、松田甚次郎の分骨式が昭和18年10月に行われたということになる。そしてもちろん、これはその時の賢治詩碑の前での記念写真ということになる。
実は、「生前甚次郎は賢治のそばに埋葬されることを望んでいたので、甚次郎の遺骨は分骨されて賢治詩碑の横に埋められているという」ということを私も仄聞していたのだが、この写真を初めて見て、それは事実だあったと判断しても間違いなし、と確信した。
ちなみに、甚次郎は『村塾建設の記』(松田甚次郎著、実業之日本社)の中の「一、宮澤先生の墓に詣でて」で、(昭和13年)「十一月十三日夜行列車で山形から花巻に向かい、黎明の六時半に花巻駅に着いた」と述べており、「今は亡き先生の碑前にて拙著『土に叫ぶ』の報告をなし」とも述べている。すなわち、甚次郎は詩碑のあるあそこが「宮澤先生の墓」と思っていたのである。
実際、同地の案内板には「詩碑の下には遺骨、経文が納められ」と書かれてあるように、賢治詩碑の下には賢治の遺骨もあるわけで、甚次郎は師賢治と一緒にそこで眠っていることになる。
なお、このことに関連しては、
と小倉豊文がぼやいていた。
しかも、いつの間にか、あの「お蔵」のそばに案内板が建てられて、
賢治墓所 身照寺
とそこに書かれているから、身照寺の五輪塔が賢治の墓であると誤解する人が今後今後ますます多くなるであろう。
さてこの実態に対して小倉は、そして甚次郎は何と思うのであろうか。まして、おいおいここに埋められている私の遺骨をなかったことにするのか、と賢治は嘆き悲しんでいるのではなかろうか……。
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