みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

新潟 岩杉利助

2020-09-22 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉

 では今回は、新潟からのものである。
   潟県古志郡下塩谷村
        岩杉 利助
偉大なる土の師松田甚次郎先生逝いて早や一月……
実りの稲田を吹く風も、物淋しく一抹の悲しさを覚えさせられる
忘れはせじ八月五日讀賣誌上の悲報に何時までも泣いて明かした一夜と同じ涙が又しもほつと傳はる
実際殘念でたまらない…………
靜かに松虫の聲を聴き乍ら「土に叫ぶ」を讀んでゐると今でも鳥越の村に働らいてゐられる様に思へてなりません。そうだ先生は確かに生きています。土の教へは貧しい私の小さな胸にも強く波打つています。皇國農民の眞の姿になつて土に捧げることこそ本當の弟子ではないでせうか。私も偉大な先生の教訓を胸に人間の生命なる土に生きん事を誓ひ古志の山里より遥かにご冥福をお祈りいたします。
             〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)より〉    

 やはり改めて思うのは、当時の農民たちにとって、次の近似式
   松田甚次郎≒「土に叫ぶ」
が成り立つということだ。
 つまり、「土に叫ぶ」を通じて当時の多くの農民たちは甚次郎の精神を学び、農村文化の向上を目指し、農産物の増産に励んだということは疑いようがない。だからこそ、同書は大ベストセラーになったのであり、甚次郎は彼等に支持され慕われたのだ、ということになろう。
 一方で、同書やロングセラーの松田甚次郎編『宮澤賢治名作選』によって、賢治の名と作品が初めて全国的に知られるようになったのだから、宮澤家や賢治の地元花巻の人々は松田甚次郎に最大級の感謝と敬意を払っていたはずだ。まさに、その証左の一つが、甚次郎没直後に遠く離れた花巻の宗青寺で追悼式が盛大に執り行われたことだ。
 にもかかわらず、戦後になると急に、松田甚次郎の名は賢治周辺や地元花巻からは消え去ってしまった。どうしてなのだろうか、不思議だ。そこで少し調べてみると、たとえば、甚次郎が「農本主義者」だったことがその大きな一因だと言われているようだ。が、それは主たる理由とはなり得ないということは、私も最近少しずつ解りかけてきた。毀誉褒貶は世の常なのだろうが、それにしてはあまりにも不自然すぎると感ずることを私は禁じ得ない。

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《出版案内》
 この9月21日、『宮沢賢治と高瀬露 ―露は〈聖女〉だった―』(『露草協会』編、ツーワンライフ社、定価(本体価格1,000円+税))

を出版。その目次は、下掲の通り。

 間もなく県内の書店、アマゾン等で販売されます。
             





             
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