みちのくの山野草

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軍国主義鼓舞?

2020-10-09 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『近代山形の民衆と文学』(大滝十二郎著、未来社)〉

 大滝はこうも言っていた。
 松田の演劇の特徴について、往年松田の思想に共鳴した村の青年吉野心平は、こう語っている。「『水涸れ』という演劇以来何十回かの演劇一つ一つ取り上げてみれば、必ずと言う程松田先生が実行実践する場合の具現構想は演劇をとおして示されて来た」(追悼文集『和光』)。事実、こうした演劇の前後に、村には消費組合が創設され、後年貯水池が実現している。松田の演劇活動は、十五年戦争の進展と共に国策に沿って村を救うことを夢見たために軍国主義鼓舞にならざるを得なかったが、初期の活動は紛れもなく賢治の思想の忠実な実践であった。
            〈『近代山形の民衆と文学』(大滝十二郎著、未来社)139p〉

 よって、私がこの中で一番気になることは「十五年戦争の進展と共に国策に沿って村を救うことを夢見たために軍国主義鼓舞にならざるを得なかった<*1>」という記述部分だ。それは、真壁が「時流に乗り、国策におもね、そのことで虚名を流した」と松田のことを誹っているが、これと通底しているからだ。しかしそこまで言って、松田甚次郎一人だけを責めるのは酷ではなかろうか。それは、既に〝「最上共働村塾の歌」〟において論じたことであるが、当時は国民の殆どが、もちろん文化人・著名人も含めて殆どが戦争に協力わけなのだから。
 ちなみに、昨今取り上げられている『日本学術会議』だってしかりだ。十五年戦争の際に、科学者コミュニティが戦争に協力したのでそのことを反省して、1949年に日本学術会議を創設、1950年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明を出したというではないか。
 したがって、十五年戦争においては、国民精神総動員運動の流れの中で国民の殆どが皆戦争に協力したということだ。そして当時は、農村からは働き手である多くの男が戦争に駆り出されて、内地に残っているのはほぼ女性と老人そして子どもたちだったはずだから、そのような状況下で農産物の生産を確保するためには、松田甚次郎の実践は評価されこそすれ、彼一人だけが、真壁から「時流に乗り、国策におもね、そのことで虚名を流した」と誹られるのは、果たして如何なものか。そう誹る前に、真壁がこの言を先ず向けるべき相手は他にいたのではなかろうか。
 そしてまた、松田甚次郎一人だけが軍国主義鼓舞になったわけではなかろうに。

<*1:投稿者註> この典拠は何であろうか。まさか、真壁のこの誹り、「時流に乗り、国策におもね、そのことで虚名を流した」ではなかろうが。

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