みちのくの山野草

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ふたたび人びとの記憶に甦る

2020-11-02 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『近代山形の民衆と文学』(大滝十二郎著、未来社)〉

 さて、ここまで2回(〝若い人にはなじみのない名前松田甚次郎〟と〝有馬頼寧の言〟)に亘って「松田甚次郎の追悼文集を読む」を元にして投稿してきたのだが、この「松田甚次郎の追悼文集を読む」は実はこう始まっていた。
 ひとときのあいだ、世間からまったく忘れられていた一人の人間の思想や実践が、ふたたび少数の人びとの記憶に甦ってくる場合がある。その記憶は明るく楽しいものばかりとは限らない。その人間の生きた、暗く険しい時代相とこんにちの時代相の、ある局面が似通っており、だから一時代前のその局面打開のために苦闘した一人の人間の思想や実践がふり返られる――というのでは、われわれは現在あまり幸福な世の中に暮らしていないことになる。
              〈『近代山形の民衆と文学』(大滝十二郎著、未来社)337p〉
 なかなか意味深長な言説である。この『近代山形の民衆と文学』は、1988年(昭和63年)発行だから、著者の大滝氏は今から30年以上も前の昭和63年頃に既にこのような見立てをしていたということになる。そして実際、松田甚次郎の地元の新庄では、松田甚次郎の再評価が近年急激に高まっているから、大滝氏は先見の明がある方だということを私は知った。そこで大滝氏のこの主張に従えば、「われわれは現在あまり幸福な世の中に暮らしていないことになる」わけだが、たしかにその危惧が私にもある。それは、大滝氏の「その人間の生きた、暗く険しい時代相とこんにちの時代相の、ある局面が似通っており」という見方は、まさに甚次郞が愚直に「賢治精神」を実践していた当時と、昨今の時代相がどんどん似て来ているということを否定できないからなおさらにだ。
 それゆえ、「ふたたび少数の人びとの記憶に甦ってくる」松田甚次郎ではなく、願わくば、ふたたび多くの人びとの心に甦ってきて欲しい。

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