《『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)》
では今回は、『土に叫ぶ』の最後の章「一四 農村最近の動向と時局」の中に、
滿州移民
皇國精神
出征
事變下の農村
農は國の大本
農村國策樹立の急務
という項があるので、これらを通読して甚次郞が「時流に乗り、国策におもね」たことがあったかどうかを調べてみたい。皇國精神
出征
事變下の農村
農は國の大本
農村國策樹立の急務
では、まずは「滿州移民」という項についてである。この項で甚次郞は、
次に最近に於ける農村の人口問題である。
これは近時軍需工業の発達著しいため、地方の靑少年が工業労働者として都会に行くやうになり、また満州移民として有為の靑年が移民する。しかしこれは最も働き盛りの靑年に限られることで、農村全体の人口は依然として過剰である。…投稿者略…従つて、こゝに考へられる一番の方法としては、日本農民の大陸的移動のたゞ一途あるのみである。
〈『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)380p〉これは近時軍需工業の発達著しいため、地方の靑少年が工業労働者として都会に行くやうになり、また満州移民として有為の靑年が移民する。しかしこれは最も働き盛りの靑年に限られることで、農村全体の人口は依然として過剰である。…投稿者略…従つて、こゝに考へられる一番の方法としては、日本農民の大陸的移動のたゞ一途あるのみである。
と論じている。この「一番の方法としては、日本農民の大陸的移動のたゞ一途」という考え方は、もちろん甚次郞独りの持論というわけではなく、当時の国策(昭和11年に「満州農業移民100万戸移住計画」が国策となる)に沿っていると言える(ただしもちろん、これだけで「国策におもね」たとは言い切れない)。
そして、甚次郞は次のように主張していた。
長男といはず、相續人といはず、新天地開拓の心意氣に燃える者は、宜しくその目的達成の爲に雄飛すべきであらう。世界人類の幸福と、東洋平和の確立と、内地の農村問題、社會問題の根本的解決のためには、あらゆる難行を敢行すべきである。
〈同381p〉と主張していた。すると問題となるのは、農本主義者加藤完治は極めて多くの青少年を満蒙に送り込んだ<*1>が、甚次郞もこの主張に基づいて多くの塾生を加藤の場合と同様に満蒙に送ったかである。もちろん、甚次郞の場合はそんなことはしていない。なお、この「世界人類の幸福」という文言に出会うと、賢治のあの、
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の 幸福はあり得ない
を思い出してしまう。
では次は「皇國精神」という項についてである。この項は、
以上の如く、農村の種々相は多くは經濟的な事項であるが、一方種々なる精神問題のそ存在する事も事實で、これに就いての所感の一端を次に述べてみよう。
〈同382p〉と始まっており、この項についてはあくまでも「所感」ということだから、「時流に乗り、国策におもね」以前の話であり、この項の検討はもうこれ以上必要なかろう。
では今度は「出征」という項についてだが、この中身は鳥越における出征に関する報告等であり、この項についても取り立てて問題となることはない。
これは以下の項「事變下の農村」「農村國策樹立の急務」についても同様であった、
ただし、気になる項が一つあった。それは、「農は國の大本」という項であり、そこではこんなこと、
この事變によつて、如何に農村が國の大本として重要視さるべきものであるかといふことが明瞭となつたことと思ふ。卽ち農村こそは、強兵の大量源泉であり、また食糧並に産業資源の根源地でもある。…投稿者略…農村と都會とは比較にならない程で、如何に農村に於て多くの犠牲を拂ひつゝあるかを爲政者は認識せねばならぬ。この事實は壯年の働き手が應召し、さらに馬匹が徴發された農村に於ける經營状態を考へて見れば、多言を要せずとも解ることことである。それにもかゝはらず農民は何等不平をも言ふこともなしに、未曾有の非常時に當つて心から一致して、國家の爲に盡力せねばならぬといふ尊い心持ちで働いてゐる。
〈389p〉を松田甚次郎が論じていることがである。もちろん、甚次郞は農民と共に歩んでいるのだから、基本的には彼の言うとおりだろうと納得できる。つまり、農民の置かれた状況を的確に述べているのだと。問題はそこではなくて、「この事變によつて、如何に農村が國の大本として重要視さるべきものであるかといふことが明瞭となつたことと思ふ」の部分だ。それはこのような甚次郞の認識が、農本主義者であり、ひいては「時流に乗り、国策におもね」たと誹られることに繋がった恐れがあるのではなかろうか、ということだ。
しかし、広辞苑によれば
【農本主義】
農業をもって立国の基本とし、従って農村をもって社会組織の基礎としようとする立場。
と定義されているから、このような立場は当時の日本では、農民・農業の実態に鑑みれば何等問題はなかったはずだ。もし問題があったとすれば、加藤完治<*1>や橘孝三郎が引き起こしたことであり、その二人が農本主義者であったということではなかろう。農本主義者ということだけで誹られる理由はないはずだ。それは立場であり、主義だからだ。農業をもって立国の基本とし、従って農村をもって社会組織の基礎としようとする立場。
つまるところ、この章「四 農村最近の動向と時局」の記述内容によって、当時の甚次郞が「時流に乗り、国策におもね」たことがあったとは言い切れない、ということである。せいぜい言えることは、国策に沿っていた部分もある、という程度であろうし、またそんなことは、殆どの国民がそうであったであろうことは容易に想像できる。
以上ここまでの結果から言えることは、
『土に叫ぶ』の記述内容によって、甚次郞が「時流に乗り、国策におもね」たと誹られる謂われはなかろう。
ということだ。<*1:投稿者註> 加藤完治によって満蒙に送り出された計86,530名の青少年義勇軍の内の約24,200名(約28%)が満州の荒野や収容所で悲惨極まる最期をとげた。
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